2015年8月1日 投稿者:KS部OB 投稿日:2015年 8月 1日(土)01時42分55秒 通報 【5・3記念最高幹部協議会】(2006・5・10) 大勝利の「5月3日」、本当におめでとう! ありがとう!(大拍手) 学会は勝った。断固として勝った。 全同志の皆さまの健闘によって、「創価学会の日」を、すべてに大勝利で飾ることができた。 わが尊き友への感謝を込めて、和歌を一首、お贈りしたい。 千万の 祝賀の万歳 勝ち鬨は 創価の城にも 轟き響かむ 来年の5月3日へ、そしてまた「創立80周年の5月3日」を目指して、勇躍の前進を開始したい。 そのためにも、大事なのは、リーダーの生命力である。生き生きとした息吹である。 戸田先生は、よく言われた。 「一人ひとりが、生き生きとした、はち切れるような生命力、ピンと弾けるような生命力を湧き立たせていくことだ」 会合での話一つをとっても、「何としても立ち上がってもらいたい」という強き一念がなければならない。張りのある声で、皆の心を揺さぶる話でなけれはならない。 御聖訓には「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書947ページ)と仰せである。 妙法を唱え、行じる私たちは、常に生まれ変わったような新鮮な生命力で、はつらつと躍動していくことができる。 また、そうでなければ、真に妙法を実践しているとはいえない。 「一日一日が元朝(がんちょう)」「一日一日が出発」との晴れ晴れとした心で、皆に希望を贈る名指揮をお願いしたい。 きょう(10日)は、全国の最高指導者の方々が一堂に会した。今年のさらなる勝利へ、そして明年の完全勝利、創立80周年の偉大なる勝利へ、心を一つに、呼吸を合わせて出発してまいりたい。 広宣流布のリーダーは、壮大なる目標を持たなければならない。 大目標を掲げ、そこに向かって必死に戦い、勝ったという歴史をつくることだ。 それでは、戦いに勝つための根本は何か。 どこまでも「祈り」である。 所詮、広宣流布とは仏と魔との戦いである。魔軍を打ち破るには、祈りしかない。妙法の利剣しかない。 複雑な現実があればあるほど、「祈り」から出発する。ここに、すっきりとわが一念を定めることだ。 そのうえで「行動」である。行動で、祈った方向へと、現実を動かしていくのである。 「祈り」と「行動」が一体となった時、初めて魔を打ち破ることができる。広布を前進させることができる。 さらには「作戦」である。 三国志の英傑・諸曷孔明は、こう言ったと伝えられる。 「智者は戦(いくさ)をしかけるまえに万全の作戦計画を立てて勝利を不動のものとする。 これに対し愚者は、勝利の見通しも立たないまま、やみくもに戦をしかけ、そのあとで活路を見出そうとする」(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店) その通りである。 リーダーの連帯、綿密な協議が大事である。独りよがりでは失敗する。 日蓮大聖人が「謀(はかりごと)を帷帳(いちょう)の中に回(めぐ)らし勝つことを千里の外に決せし者なり」(同183ページ)と仰せの通りだ。 大聖人は、佐渡流罪という大難の中にあって「強敵を伏(ふく)して始(はじめ)て力士をしる」(同957ページ)と師子吼された。 敵がいるからこそ強くなる。迫害があるからこそ仏になれる。本物の人材が出てくる。 「難こそチャンス」。 ここに仏法の真髄がある。 境涯を開けるか、大福運を積めるか、本物の広布の指導者と立てるかどうか ── 魔が競い起こる時こそ、その重大な境目なのである。 ゆえに、勇気を奮い起こして戦う以外にない。 そして皆を励まし、勝利の要諦を教えて、新しい人材をどんどん育てることだ。 自分に従わせ、命令するのではなく、創価の師弟の精神を教え、ともに成長していくことだ。 人材が出なければ、後は衰亡しかない。よき同志のいるところに、発展がある。 広布のリーダーは、決して偉ぶった態度ではいけない。同志の中に飛び込んで、皆の心を汲み、心と心を結んでいく指導者であっていただきたい。 婦人部、女子部をはじめ、皆さま方の深き祈りがあって、この5月3日は、日本全国で素晴らしい晴天に恵まれた。 5月3日に前後して、じつに多くの同志の方々が学会本部にお越しになり、「創価の元朝」の広宣流布の本陣を、晴れ晴れと荘厳してくださった。 あらためて、心から感謝申し上げたい。 喜々として本部に集う同志を目の当たりにされた識者からも、「創価学会は一段と旭日(きょくじつ)の勢いですね」と、感嘆の声が寄せられた。 法華経の寿量品には「我が此の土は安穏にして天人は常に充満せり」とある。 わが本部の活況に、この経文が心に浮かぶ。まさに、学会の威光勢力が、更に更に増しゆく象徴といってよい。 大聖人は、こう仰せである。 「釈尊は『私を、無量の珍宝(ちんぽう)をもって、億劫(おくごう)という果てしなく長い間、供養するよりも、末法の法華経の行者を、たとえ一日でも供養する功徳のほうが、百千万億倍も勝れている』と説いておられます」(同1578ページ、通解) 末法にあって、大聖人の仰せのままに、世界広宣流布を遂行しているのは、唯一、創価学会のみである。 御書に照らして、創価学会のために真心を尽くされゆく同志の功徳は計り知れない。 すべて、自分自身の心の中に大福運となって積まれ、また一家一族が未来永遠に勝ち栄えていく源泉となっていくことは間違いない。 私も妻も、この5月3日は、ナポレオン家の当主(プランス・シャルル・ナポレオン公)との会見などのため、八王子のほうで迎えたが、本部の様子は逐一うかがい、来館者の皆さまが無事故で、満足して帰られるよう、題目を送らせていただいた。 御聖訓には、「須弥山(しゅみせん)に近づく鳥は金色となるなり」(同1536ページ)と仰せである。 妙法を求めて進む皆さまは、妙法に照らされて黄金に輝くがごとき大境涯になっていくと、御本仏が約束してくださっている。 本部の創価学会常住の御本尊には「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認(したた)めである。 この御本尊のもとに集い、「慈折広宣流布(じしゃく・こうせんるふ)」に進みゆく皆さまが、一段と健康で、常楽我浄の生命を光り輝かせていかれるよう、そして、偉大な勝利と幸福の人生であられるよう、私は真剣に祈り続けている。 また、この期間、役員についてくださったすべての方々に、心から感謝申し上げたい。 学会本部の接遇(せつぐう)センターで受付を担当しておられる「創価長者会」の方々は、「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」との法華経の精神のままに、真心で広布の同志を歓迎してくださった。 昨日も、清々(すがすが)しい本部受付の女子部の方(本部秀麗会(しゅうれいかい))に、私は最敬礼して申し上げた。 因果の理法に照らして、広宣流布のために、大勢の人を温かく爽(さわ)やかに迎えることは、生々世々、千客万来の福徳の境涯となるんだよ、と。 「さいわいを万里の外よりあつむべし」(同1492ページ)と仰せのごとく、大福運が万里の外から集まり来ることは、絶対に間違いない。 これが、戸田先生のご指導でもあった。 妙法の功徳は三世に輝く。 法華経の随喜功徳品(ずいきくどくほん)には、このように説かれている。 妙法を説く場所で、来た人に座るように勧めて、聴かせた人。あるいは座を分けてあげた人。この人は、その福徳によって、未来世において、帝釈天、梵天、転輪聖王(てんりんじょうおう)の座を得るだろう ── 。 すなわち、大指導者の境涯を得ることができるというのである。 これは、個人会館や個人会場を提供してくださっている方々にも通じるといえよう。 戸田先生は、初代の渉外部長であった私に、よく言われた。 「人に会うことが、広宣流布だ。皆を味方にすることが、広宣流布だ」と。 そしてまた、「広宣流布のために会い、勇敢に、誠実に仏縁を結んだ人は、未来において、その人が必ず自分の眷属(けんぞく)となって、自分を護り支えてくれるようになるのだ」とも指導してくださった。 仏法は、遠くにあるのではない。自分の心のなかにある。自分の振る舞いのなかにこそある。 リーダー自身が、どんどん飛び出して、人と会い、心から同志を励ましていく。今こそ最高幹部が働く時である。 どこか奥のほうで、ふんぞり返ったり、人まかせにしたりするのは、とんでもないことだ。 同志に尽くすために幹部はいるのだ。 陰で広布を支えている人がいる。その人を、必ず見つけて、声をかける。尊き労苦に報いていく ── この視線、この責任感を指導者が持っているかぎり、学会は伸びていく。また、護られていく。 今や学会は、世界的に大きく発展した。 同志の皆さま方のお力で、かつてない勢いで前進している。本当に、ありがたいことである。 戸田先生は常々、「三代が大切である。三代で、社会へ、文化へ、大きな布陣をしくのだ」と言われていた。 万代にわたる創価の盤石な礎(いしずえ)を、三代で築き上げることは、私にとって、戸田先生との誓願の成就であり、報恩の遂行(すいこう)である。 目指すは創立80周年。 希望輝く目標に向かって、世界広布の「新しい陣列」を築いてまいりたい(大拍手)。 今、21世紀の広宣流布を担い立つ、新しい若き人材が、澎湃(ほうはい)と躍り出ている。私は本当にうれしい。また、頼もしい。 首都圏の「青年部大会」、「関西未来部総会」、そして「創価後継者大会」も大成功だった。おめでとう!(大拍手) 「21世紀使命会」をはじめ、未来部を担当されている皆さま方は、本当によく後輩たちの面倒を見てくださっている。尊き献身に、深く深く感謝申し上げたい。 デンマークの大哲学者キルケゴールは言った。 「善き人は強い、全世界よりも強い」(田淵義三郎訳。『キルケゴールの講話・遺稿集3』新地書房から) 創価学会は、最も「善き人」の集いである。 この「善き人」の人材の流れを、永遠に途絶えさせてはならない。 「まこと善き人は善き人へ後を継ぐは、自然な希(ねが)い」(池田廉訳『ペトラルカ凱旋』名古屋大学出版会) イタリアの桂冠(けいかん)詩人ペトラルカの長編詩の一節である。 後継の育成は、最も尊く、最も価値ある仕事である。我らは誇りも高く、新しき人材を創りゆく労作業に邁進(まいしん)してまいりたい(大拍手)。 えて、さらに未来の果てまで妙法を伝えていくために、創価学会をどう永遠ならしめていくか。 私は今、そこに一切の焦点を当てている。 「開目抄」の結びにおいて、日蓮大聖人は、こう仰せになられている。 「法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が集まられたのは、いかなる心によるのか。 『法をして久しく住せしめんがために、ここにやって来た』と説かれている。 この三仏(釈迦・多宝・十方分身の諸仏)が未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子に与えようとされる御心(みこころ)のうちを推察するに、一人子(ひとりご)が大きな苦しみにあっているのを見る父母の心よりも、何としてでも救わずにはおかないとの思いが強盛であったと思われる」(御書236ページ、通解) “未来永遠にわたって、苦しむ人々を救いたい! そのために、妙法を永遠に流れ通わせるのだ!” これが、法華経の真髄の魂であり、広宣流布の根幹の精神である。 釈尊は、一切衆生を救うことを願った。弟子たちも、師弟不二なるがゆえに、まったく同じ心で立ち上がった。 その弟子たちの心の凝結(ぎょうけつ)が「仏典の結集」である。 御書には、最初の仏典結集に臨んだ門下の決意が、こう記されている。 「百年、千年の後、ないし末法の一切衆生は、何をもって仏をしのぶ形見とするのか」「我らは五十年の間に一切の声聞・大菩薩が聴聞し持(たも)っている経々を書き置いて、未来の衆生の眼目としよう」(同1421ページ、通解) さらに「諸法実相抄」には、仏典結集の様子が、次のように描かれている。 「釈尊の弟子の千人の阿羅漢は、仏のことを思い出して涙を流し、流しながら文殊師利菩薩が『妙法蓮華経』と唱えられると、千人の中の阿難尊者は泣きながら『如是我聞(このように私は聞いた)』と答えられたのである。他の九百九十人は、泣く涙を硯(すずり)の水として、また『如是我聞』の上に『妙法蓮華経』と書き付けたのである」(同1360ページ、通解) 「私は師から、このように聞いた」「これが正しき師の心である」 ── この真剣なる弟子の叫びが、仏法を永遠たらしめる力となった。 「如是我聞」 ── そこには、師の教えを生命に刻み、勇敢に実践しゆく「師弟不二の心」がある。そして、師の教えを高らかに掲げ、厳然と継承しゆく「師弟後継の心」がある。 御義口伝では、この「如是我聞」について、天台大師の「法華文句」の次の一節を引かれている。 「『如是』とは信順(しんじゅん)を意味する言葉である。信ずることによって、聞いた法理を会得(えとく)することができ、、順ずることによって、師弟の道を成ずることができる」(同709ページ、通解) 「信じ、順ずる」 ── この心に徹し抜いてこそ、「師弟の道」を成就することができる。「師弟の道」を貫き通してこそ、末法万年尽未来際の広宣流布を開いていくことができるのである。 戸田先生は、牧口先生の弟子として、「師弟の道」を歩み抜かれた。 師匠であり、創価学会の創始者であられる牧口先生を、最高最大に大切にしていくのだと厳命されていた。 「学会は学会として、学会の『師弟』の精神を宣揚(せんよう)していくものがなければ、本当に日蓮仏法を広宣流布している団体としての『眼日』『魂』がなくなってしまう」 こう先生は叫ばれた。 戸田先生の弟子である私も、峻厳な師弟の道を歩み抜いた。 私は戸田先生から、本当に厳しい訓練を受けた。すべて受けきった。 戸田先生が見てくれている ── それだけが私の生きがいだった。これが師弟というものである。 私は365日、一瞬たりとも先生のことを忘れたことはない。いつも先生と一緒である。 歩いていても、車に乗っても、食事の時も、瞬間瞬間、戸田先生のことを思っている。 これが私の人生である。これが本当の師弟不二である。 師弟不二の道は命がけである。厳しき師の訓練 を受けた人間しか、本物にはなれない。未来のためにも、このことを、はっきり言っておきたい。 私は戸田先生に尽くし抜いた。すべてを捧げた。あまりにも激しい闘争に、私の体は疲弊(ひへい)しきった。 先生は、“俺のために大作を働かせ過ぎた。このままでは、大作は若くして死んでしまう”と泣いておられた。 戸田先生と私は、そういう師弟だった。 戸田先生についてデマ記事が書かれたり、事実を歪曲(わいきょく)した報道が行われた時、私はただちに抗議に出かけた。 どんなところにも行った。おどしてくる相手もいた。それでも私は、たった一人で出向いた。 居丈高な態度で迎えた相手にも、きっぱりと間違いを正し、真剣に、誠実に、戸田先生と学会の正義を訴えた。そして、次第に誤りを認めさせ、「よくわかった。もうこんな記事は書かない」との謝罪を勝ち取ったことがある。 その時、相手が一言、「戸田という人物は、いい部下を持っているな」と漏らしていたことが忘れられない。 戸田先生は言われていた。 「広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これが地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい」 先生は、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の学会を守り、強めていく以外に、広宣流布は絶対にあり得ないことを強調されていた。 「創価学会は、苦しんでいる人々を救うため、広宣流布という仏の仕事をする、最高に尊い組織だ。戸田の命よりも大事な組織だ」と。 師を敬い、師の恩に報じていく。この美しき心の世界が、学会の世界である。 偉大な人間に怨嫉(おんしつ)するのは、清らかな仏法の世界に、あってはならないことだ。また、あまりにも愚かである。 他のいずこにもない、学会の“心の世界”は、だれ人にも壊されてはならない。悪しき心根(こころね)の人間を入れてはならないと戸田先生は戒めておられた。 「いつの時代にも、裏切り者は必ず出るものだ。そんな敗北者の屍(しかばね)を、君たちは ── 本当の創価学会の同志は、堂々と乗り越えて、前へ前へ進め!」 先生の叫びは、今も私の耳朶(じだ)に残っている。 仏に敵対し、仏を亡き者にしようと画策した提婆達多。彼は釈尊と同族であり、釈尊に近い弟子と見られていた。 なぜ提婆は反逆したのか。その本質は嫉妬である。男のヤキモチである。 提婆達多は、師匠から大きな恩を受けながら、いつしか慢心に陥り、自分自身の世界しか見えなくなった。自己中心的で冷酷な心にとらわれ、師を宣揚することができなくなった。 そして、釈尊は年老いたと言って、自らが教団の中心者に取って代わろうと企んだのである。 戸田先生のもとで幹部をしていた人間の中からも裏切り者が出た。牧口先生の時代も、最高幹部が退転した。 日蓮大聖人が御入滅された後、大聖人が本弟子として定められた六老僧のうち、日興上人以外の5人が、師匠である大聖人に違背した。彼らには、日興上人への嫉妬もあった。これが歴史の教訓である。 師弟の精神、三代の会長の精神を、何があっても守っていくのだ。それが、全学会員を守っていくことになる。 この一点を忘れないかぎり、広宣流布の前進は永遠に行き詰まることはない。 「学会のために!」「師のために!」 ── この一念で私は戦い抜いてきた。この一念があれば、どんな苦難も乗り越えられる。 学会の根幹である師弟の道を絶対に踏み違えてはいけない。そうなったら、永遠の後悔を残すことになる。 師弟の精神が薄れていくなら、広宣流布の将来は危うい。悪人がのさばり、純粋な会員が苦しむようなことは、決してあってはならない。ゆえに私は、声をかぎりに真実と正義を叫んでいる。 戸田先生は「広布破壊の極悪、学会の恩を仇で返す恩知らずは、絶対に許すな!仏の敵であるゆえに、どれほど厳しく言っても、言い過ぎることなどない」と言われていた。 思えば、日興上人は、その御生涯の最後まで、師敵対の五老僧らの悪を呵責(かしゃく)され、二十六箇条の「遺誡置文(ゆいかいおきぶみ)」を定められた。 日興上人は、その御心境を「偏(ひとえ)に広宣流布の金言を仰がんが為」(同1617ページ)、「万年救護(まんねんくご)の為」(同1619ページ)と仰せである。 広宣流布の指揮を執(と)るということは、「現在」の勝利を飾ることは当然として、「未来」の勝利の道を開くことである。 この一点を深く銘記していただきたい。 戸田先生は、学会の最高幹部に対して、本当に厳しく指導された。 幹部には、本当の実力が伴っていなければならない。信心の年数が長いだけでは骨董品だ。仏法は厳しい。その厳しさが学会の組織の骨髄であると話されていた。 さらに先生は、学会を「車輪」に譬(たと)えられ、車輪が大きくなり、遠心力や加速度が加わって、どんなに大きく回転しようとも、「車軸」が堅固でありさえすれば、何も心配はないと語っておられた。 「車軸」とは、幹部の団結である。 ゆえに、その「車軸」をダイヤモンドのように、堅く、絶対に壊れないものにしようと、日夜、心を砕かれていたのである。 そして、広布の車軸を金剛不壊にするものは、「純粋にして強い信心」であり、「幹部の自覚と使命感」であることを打ち込まれたのである。 私と君たちとの間に、毛筋一本でも挟まって余計な摩擦があれば、学会の車軸は金剛不壊でなくなるのだ! 私と共に、あらゆる難に打ち勝って、一人ももれることなく、本懐を遂げよ! ── と。 広宣流布の大地である創価学会を大事にし、盤石ならしめることが、広宣流布を永遠ならしめる、ただ一つの道なのである。 ここで、古今の大教育者の哲学と実践に学びたい。私どもの現在の焦点は「人を育てる」という一点にあるからだ。 今年の1月、私は、ロシアの名門・ウラル国立大学のトレチャコフ総長一行をお迎えした。〈総長一行は名誉会長に「名誉博士号」を授与するために来日。創価大学で授与式が行われた〉 総長は、ソ連邦崩壊後の大混乱の社会にあって、雄々しいリーダーシップを発揮され、大学を発展の軌道に乗せ、全教職員から絶大な信頼を勝ち取ってこられた。 大学のため、学生のために夜遅くまで執務し、だれもいない静まりかえった構内から一人出てくる姿を、学生がしばしば見かけるという。 トレチャコフ総長は語っておられる。 「総長職は、教職員の僕(しもべ)である。ゆえに、そう簡単に投げ出して、逃げることなどできない。皆から信頼され、責任職に就きながら、それを放り投げたような人は、わが大学には一人もいない」 リーダーとしての覚悟と深き信念のにじみ出た言葉である。 学会の役職もまた、責任職である。幹部であればあるほど、その責任は重い。 自らが会員同志の「僕(しもべ)」となって仕えゆく決意なくして、広宣流布の前進への責任は、断じて果たせない。 総長は、こうも語っておられた。 「一番、大事なことは、建物が立派かどうかではない。その大学で、どんな人物が働いているかである」 「大学で学ぶ者、働く者、一人ひとりが、大学をわが家と思って接すれば、たとえ周りですべてが崩れたとしても、大学は生き残るであろう」 「大学とその歴史、過去と現在を創っているのは、何といっても『人』である。大学の理念に、私心なく尽くしてくれる教職員であり、陰で働いてくれる人々である」 建物ではない。機構でもない。すべては「人」で決まる。そこにいる人の「心」で決まる。 大学のみならず、あらゆる団体、あらゆる組織にあてはまる鉄則である。 創価学会もまた、広宣流布の大理想を目指し、わが身をなげうって、陰に陽に献身してくださる学会員のおかげで、滔々(とうとう)たる大河のごとき発展を遂げることができた。 まじめに戦ってくださっている同志を心から大切にする。ここに、学会発展の根本のカギがある。 ドイツの大哲学者であり、教育者であったシュライエルマッハーは、“教師が学生と苦楽を共にすることが少なくなればなるほど、自分の職務が面白くなくなり、みのりの少ないものになってくる”と述べている。〈梅根悟・梅根栄一訳『世界教育学選集17 国家権力と教育』明治図書出版〉 教師だけでなく、リーダーは、人々と苦楽を共にしていかねばならない。皆を動かして、自分は動かない。皆と一歩、離れたところに自分を置いて、苦労を避ける。それではいけない。 学会の幹部は、同志と苦楽を共にしゆく一念を失った瞬問から、堕落が始まる。 スイスの大教育者ペスタロッチは、「だらしない人間を教師にしようとすることがどんなに危険であるか」と手紙に綴っている。〈虎竹正之訳「親と教師への書簡」、『ペスタロッチー全集第13巻』所収、平凡社〉 先日、お迎えした中国の華東師範(かとうしはん)大学の先生方は、「師範」という言葉には「師」として「模範」を示すという意義があることを強調しておられた。 皆さんも、「信心の模範」「広宣流布の指導者の模範」として、後輩の希望と光っていただきたい。 幹部は、絶対に傲慢になってはいけない。謙虚でなければいけない。幹部が偉ぶる時代ではない。学会は、全員が平等である。異体同心で進むのだ。 幹部は会員に尽くし、皆を尊敬していくのだ。礼儀正しく、皆の気持ちが、ぱっと明るくなるような振る舞いを心がけていくのだ。 ともあれ、壁を打ち破るには題目である。確信である。勇気である。 リーダーは、同志が皆、「戦おう!」「障魔を破ろう!」と総立ちになっていくよう真剣に祈っていくのだ。 どうすれば、尊きわが同志に、勇気を、希望を、励ましを贈ることができるか。 そのことが、私の頭から離れることはない。 できることならば、すぐにでも同志のもとに飛んでいって、手を取り、肩を抱きかかえて、広布の労苦をねぎらって差し上げたい。最敬礼して賞讃を贈りたい。 それが私の偽らざる気持ちである。 その心を込めて、私は、月々日々に、ペンを執り、文を綴り、代表にスピーチもしている。 折々に詩や句を贈らせていただくのも、「皆さんが喜んでくださるなら」との思いだけである。 戸田先生は言われた。 「折伏をしている人、学会活動、組織活動をしている人。この最も尊き同志を、最も尊敬し、最も感謝し、最も大切にしていきなさい」と。 一生涯、会員のために生きよ、同志のために尽くし抜け! ── それが恩師の叫びであった。 その直系の弟子である私の一生も同じだ。 これが創価学会の指導者の根本の精神である。 この5月3日には、華やかに「創価女子会館」がオープンした。本当に、おめでとう!(大拍手) 今、全国各地で、「花の女子部」と「太陽の婦人部」が一体となって、新たな対話を広げ、新たな友を加えながら、希望と幸福のスクラムを広げている。本当にご苦労さまです。 「女子部が成長した」「素晴らしい女子部になった」「いよいよ女子部の時代が来た」等々、多くの人から喝采が寄せられている。本当によかった。 ともあれ、私は、女子部の皆さん全員に幸福になってもらいたい。 どんな困難にも負けない強い心を持ち、希望にあふれ、歓書にあふれ、仲良き友に恵まれて、使命の道を生き生きと歩んでいけるように、今後も、私は、あらゆる応援を惜しまないつもりである。 女子部の躍進とともに、広宣流布の未来は洋々と開かれてきた。 これからが本当の勝負である。創価の女性の真価が問われる時である。 さっそうと、気高く気品に満ちて、また楽しく朗らかに、心通う対話と友情の劇を繰り広げていただきたい。よろしく頼みます!(大拍手) これから各地で行われる婦人部総会の大成功を心から祈りたい。 「創価の太陽」である婦人部が輝けば、 一家が輝く! 地域が輝く! 未来が輝く! 婦人部の力は、まことに大きい。 池上兄弟が、悪逆の良観らの圧迫を受けて、大きな岐路に立たされていたとき、大聖人は、兄弟の二人の夫人に対して、こう仰せである。 「(あなたたち夫人が)心を合わせて、夫の信心を諫(いさ)めるならば、竜女(りゅうにょ)の跡を継ぎ、末法悪世の女人成仏の手本となられることでしょう。 そのように、信心強盛であるならば、たとえ、どのようなことがあろうとも、日蓮が二聖(にしょう)・二天・十羅刹女・釈迦・多宝に申し上げて、次の世に必ず成仏させて差し上げましょう」(御書1088ページ、通解) 人生には、大なり小なり、試練があり、転機がある。 その「いざ」という時に、賢明なる女性が勇気ある信心に立って、言うべきことを言い切っていくならば、家族も厳然と守られる。 そして、一家一族の永遠にわたる「幸福の道」「成仏の道」「栄光の道」が開かれていく。これが、仏法の方程式なのである。 何度も申し上げるが、男性の幹部は「女性を大切に! 」を肝に銘じていただきたい。 わが創価学会の前進と発展の原動力は、まぎれもなく婦人部であり、女子部である。 だからこそ、どうすれば、婦人部、女子部の皆さんが、喜び勇んで広布に励んでいくことができるか ── その一点を皆で真剣に考え、誠実に具体的に行動してまいりたい。 そこに、学会がもう一歩、強く大きくなっていく重大なポイントがある。 19世紀フランスの女性作家ジョルジュ・サンドは書き残した。 「美しい情熱は魂を大きくする」(加藤節子訳『我が生涯の記』水声社) 広宣流布にかける情熱ほど、崇高で、美しいものはない。 広宣流布への大情熱の行動は、自分自身の幸福の境涯を拡大する。 臆病に打ち勝つこと。そして、決して、あきらめないこと。 これが、ジョルジュ・サンドの信条であった。 先日、女子学生部の友が学会本部に来られた。その姿を見かけた私は、心から歓迎し、伝言を託した。 「仲良く幸せに! 幸せになるために、正義の道を歩みゆくことです」と。 ジョルジュ・サンドの主要な小説の一つに『黒い町』がある。 舞台は、谷の底に機械の轟音が響き、黒ずんだ工場が立ち並ぶ、「黒い町」「地獄の谷」などと呼ばれた労働者の町。 19世紀フランスの、ある地方の町がモデルになったとされている。 そこに、一人の賢明な乙女が立ち上がり、自分が生まれ育ったこの町を心から大切にして、理想の町へと変えていく。それが、一つのストーリーである。 一人の女性が立ち上がれば、どれだけ偉大な発展の力になるか、計り知れない。 その乙女トニーヌは、貧しい孤児であった。 やせて、顔色は青白かったが、幼い時から工場に入り、健気に「ふたり分の働き」をする少女だった。 幾つもの試練を耐え抜いてきた彼女は、物静かだが思慮深く、聡明な誇り高い女性となった。やがて町の人々を励まし、勇気づける存在となって光り始めた。 「塞(ふさ)ぎ込みがちで慎み深い少女時代を送った彼女は、突然自分自身のために生きることを放棄したかのように、開放的で、不幸な人たちを励ます存在となろうとしていた」のである(石井啓子訳『黒い町』藤原書店)。 人は気づいた。 「彼女は自分の周囲にいる人が苦しんでいるのを見れば、だれかれの区別なく世話を焼き、親切にしてやっている」(同)1と。 「親切を施すのが彼女には喜び」(同)であった。彼女は、人々を希望で照らす青春を、朗らかに進んでいった。 自分の心が変わり、使命感が変われば、すべてが変わっていく。 「人のために」と行動していくなかに、自分自身が最も光り輝いていく生命の軌道がある。 御聖訓にも、「人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなる」(御書1598ページ、通解)と仰せの通りだ。 この乙女は、自分の晴れ晴れとした気持ちを、こう語っている。 「いつまでもぐずぐずと愚痴っていることほど人を駄目にすることはないのよ」 「他の人たちのお世話をすることで、わたしがどれほどのことを乗り越えることができているか」(前掲『黒い町』) ── 。 彼女は、うわべだけの楽しみなどには流されず、人々のため、町のために、貴重な青春の時間を捧げた。そして、多くの人の信頼と感謝に包まれながら、愛する郷土と人々を大きく変えていったのである。 まさに、わが女子部、わが婦人部の皆さま方が二重写しに迫ってくる物語である。 広宣流布のために戦う人生は、人の何倍も忙しい。苦労も多い。 しかし、だからこそ、人の何倍もの充実がある。歓喜がある。 「あの人に、どう仏法を語ろうか」「この同志を、どう励まそうか」「わがグループを、どう盛り上げようか」「私たちの部を、どう拡大していこうか」等々、悩むことも少なくない。 しかし、その悩みは、まさに菩薩の悩みである。仏の心に通ずる、最も尊い生命だ。 広宣流布における労苦は、たとえ、そのときはつらくても、一生を通して見た場合、自分にとって必ず大きなプラスになる。やった分だけ得をする。これが鉄則である。 大きな目的に向かって、大きく悩んだ分だけ、煩悩即菩提で、大きな境涯が開かれる。 少々の悩みなど、悠々と見おろしていく自分自身を築き上げていくことができるのだ。 この物語の賢き乙女トニーヌは語った。 「なぜ今すぐやらないの?」 「なにかを先に延ばせば、けっきょくはやらないままで終わるか、さもなければとても高くつくかのどちらかよ」(同) 今、この時を大切に、勇気ある行動の一歩を踏み出そう! どうか朗らかに、同志とともに、自分自身の「偉大な青春」と「輝く人生の物語」を綴っていっていただきたい(大拍手)。 「最蓮房御返事」には、こう仰せである。 「第六天の魔王が私(日蓮大聖人)の身に入ろうとしても、かねてからの用心が深いので身にせつけない。ゆえに、天魔は力及ばずに、王や臣下をはじめとして良観などの愚かな法師たちに取りついて、日蓮を怨(あだ)むのである」(御書1340ページ、通解) 魔の働きは、本当に恐ろしい。 しかし、その魔も、妙法流布に命をかけた真の法華経の行者には、絶対に取りつくことができない。 そこで、魔は、権力者や周囲の人間に取りついて、法華経の行者を怨もうとするのである。 妙法は、永遠に、仏と魔との闘争である。 「月々日々に信心を強めていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がその隙につけこんで襲ってくるであろう」(同1190ページ、通解)との御聖訓を、よくよく心に刻んでいくべきである。 「たゆむ心」に負けない信心の人は、魔を断じて寄せつけない。 そして、周囲に蠢(うごめ)く魔の働きを、鋭く見破り、打ち破っていくことができる。ゆえに、「月々日々に」信心を強めていくことだ。 有名な「新池(にいけ)御書」にも、「始めから終わりまでいよいよ信心をすべきである。そうでなければ後悔するであろう」(同1440ページ、通解)と仰せである。 信心は、最後まで厳然と貫いていくことだ。いよいよ、はつらつと、生き生きと、突進していくことである。 戸田先生は「恩を仇で返すやつは、人間として極悪だ。そんな人間は、クズの中のクズだ」と厳しく言われた。 断じて忘恩の人間になってはならない。 最後が大事だ。総仕上げが重要である。そこを踏み外して、万歳(ばんさい)に悔いを残すようなことだけは、絶対にあってはならない。 「他から受けた恩を尊重するという性向、感謝の念を抱くという性向は、甚だ必要なものです。これこそ主要問題です、根本要素です」と、アメリカの詩人ホイットマンは訴えている(柳田泉訳『わが空想よ、さらば』日本読書組合、現代表記に改めた)。 5月7日、「栄光の大ナポレオン展 ── 文化の光彩と人間のロマン」の関西・神戸展が、大好評のうちに幕を閉じた。 東京富士美術館での開催をはじめ、九州・福岡展、四国・香川展、そして神戸展とも、いずれも大成功であった。 すべての関係者の皆さま、また来場くださった皆さま方に最大に感謝申し上げたい(大拍手)。 神戸展には、フランスのナポレオン家の当主であるナポレオン公も、鑑賞に訪れてくださった。 その記念式典の席上、ナポレオン公は、「ナポレオンをテーマにした展覧会が、阪神・淡路大震災からの復興、すなわちルネサンスを象徴する神戸という地で、大成功のうちに幕を閉じることは、大変に意義深いことであります」と語っておられた。 神戸をはじめ、関西の皆さま、本当にお世話になりました(大拍手)。 ナポレオンは綴っている。 「人間は善を成す為には渾身の力を傾倒せねばならぬ」(大住舜・神村興三編『大奈翁日記』東亜堂書房)その通りである。 善とは、真剣勝負である。正義とは、勇気である。 ナポレオンはまた、「死というのは、その意志がなくなることが、死なのだ」(『波瀾万丈のナポレオン』潮出版社から)と言った。 情熱や理想を失った“生きながらの死”ほどあわれなものはない。常に、前進の息吹を奮い起こしていくことだ。 さらにまた、ナポレオンは叫んだ。 「自分の人生の足跡を残さないのなら、生きなかった方がましだ」(同) 皆さま方は、広宣流布という最高無上の舞台で、永遠に輝きわたる人生の歴史を刻んでいる。 自分の時代に、「これだけの前進を成し遂げた!」「これだけの勝利の歴史を刻んだ!」「これだけの後継の人材を育てた!」「これだけの栄光の城を築いた!」と、胸を張って勝ち誇っていっていただきたい。 「開目抄」には、「命は法華経にたてまつり名をば後代(こうだい)に留(とどむ)べし」(御書223ページ)と仰せである。 広宣流布に戦い切った人の福徳は永遠である。たとえ、だれが見ていなくとも、だれが分かってくれなくとも、御本尊が厳然と見守り、讃えてくださっている。 ゆえに戦うことだ。戦いの中にのみ、充実があり、歓喜があり、勝利がある。戦っている人が正しいのである。 御本尊にほめ讃えていただく以上の栄光はないのである。 ウズベキスタンが誇る、15世紀の民衆詩人ナワイー。 創価大学の講堂前には、ナワイーの銅像が立っており、ウズベキスタンをはじめ中央アジアからの賓客も大変に喜んでおられる。 「中央アジアのゲーテ」とも呼ばれる、この大詩人は叫んだ。 「それぞれが、自分の持ち場を守るのだ! そうすれば、何事にも連帯が生まれる」 それぞれが「今いる場所」で断じて勝つ! ── この真剣さ、責任感である。それがないところには、本当の団結も生まれない。 “三重苦”を乗り越え、福祉と教育の向上に尽力した、アメリカのヘレン・ケラー女史は言った。 「思想は火や剣よりも強くあります」(岩橋武夫・遠藤貞吉訳「私の住む世界」、『ヘレン・ケラー全集』所収、三省堂) 私たちの掲げる「人間革命」の思想 ── そこに今、世界の識者が鋭く注目し、共感を寄せてくださっている。 私が対談集を発刊したローマクラブ名誉会長のホフライトネル博士は叫ばれた。 「私たちは、責任と慈愛をもって、次の世代に『生きる道』を準備しなければなりません。そのために必要なのは『人間革命』です。『人間革命』のみが、われわれの内なる潜在力を開発させ、自分が本来はいかなる存在であるのかを十分に自覚させ、それにふさわしい行動をとらせることができるのです」(対談集『見つめあう西と東』第三文明社) 私たちは、一人の人間の可能性を最大に引き出し、人間と人間を結び合い、全人類の幸福と繁栄の道を切り開く、偉大なる「精神革命」の先頭を走っているのである。 結びに、 おお正義 広宣流布の 創価かな 君も私も 元初の同志と と贈って、私の記念のスピーチとしたい。 青年部、頼むよ! 青年部の中から、もうあふれるくらいに、次から次へと人材が出てくるようでなければ、広宣流布の盤石なる未来は築けない。 今再び、21世紀の新たなる「青年部革命」の波を起こしてまいりたい。 明年の「5・3」へ、創立80周年の栄光の峰へ、完壁なる勝利の歴史を、ともどもに勝ち飾ってまいりましょう! 長時間、本当にありがとうございました!(大拍手) Tweet