投稿者:京都乃鬼   投稿日:2015年 7月 9日(木)19時07分16秒     通報
京都乃虎はワシとこのモンや。

かといって、ワシが虎に「アレをせいや!」とか「コレをせいや!」とかは言うたコトはない。

虎は虎なりに、自分で考えて師匠にブツかって行っただけや。

それを青い鼻汁を垂らしたガキが、知ったかぶりしてやな、一丁前のクチを開いとるのが笑えるのぅw

ま、ステハンのガキは横に置いといて、

ワシは師匠に認められて弟子になったんとちゃう。
ワシが「勝手に」「一方的に」「池田大作」と言う人物を師匠と決めただけや。

ワシとこの若いモンも同じや。
そやさかい、先生からすればやな「ヤヤコシイやっちゃのぅ」と思うたはるかも分からん。

そう言うイミでは、ワシが師匠と呼んだその最初の瞬間から迷惑が掛かっているのかも分からん。

でもな、創価学会の草創期と言うたら、世間の人からは「入信して来るのは、病人と貧乏人と犯罪者ばかりや!」と言われてたんや。

でも、そう言う人々からも師匠と仰がれて、また、そう言う人々と一緒に戦って来て、世界の創価学会にしたんやとう自負があるんや。
ワシの師匠にはな。

最近の若い衆の幹部は、最初から完成された創価学会の中でしか戦ってないし、物事を一面からしか見ることが出来ひんのは、可哀想に思えるな。

結論から言うと、ワシら弟子はカッコ付けんでエエねん。
師匠に何を報告しようがエエねん。
甘えようが、泣き言を言おうがエエやん。

怒られるんたったら、思いっきり怒られたらエエやん。

たとえ師匠が地獄に落ちようと、師匠のそばで戦うと決めたらエエねん。例え騙されたとしても、師匠と一緒やったらそれでエエねん。
それが師弟相対やしな。