投稿者:正義の走者   投稿日:2015年 6月17日(水)12時21分50秒     通報
宮田氏が自作の論文に追記をした。読者から指摘を受けたとのことで、日寛に「戒壇本尊書写」の論議があることを初めて知ったようだ。これだけでも学者として致命傷だと思われるが、その追記記事が、それに輪をかけて彼の学者としての資質を疑わせるものとなっている。彼は先の論文で、
「戒壇本尊を書写したという議論は、大石日応が初出であって、たかだか100年くらいの歴史しかない」
と断定し、「結論」にも
「弘安2年の戒壇本尊を書写した本尊であるという議論は、大正時代になって初めて生じた議論である」
と結論付けていた。従って、本来なら誤りの指摘を受けたこの点(戒壇本尊書写の議論の有無)についてこそ、お詫び・訂正があってしかるべきであるが、氏は訂正するどころか、
「実際に日寛の書写した曼荼羅には戒壇本尊とは異なった図顕讃文が書かれていることについては何も言及がない。また日寛が「書写戒壇本尊」とストレートに書いているのに、大石日応が「此の御本尊(戒壇本尊)の御内證」を書写するとトーンダウンして述べていることの整合性も不明である」(追記文書)
などと記して問題をすり替えている。これが学者を名乗る者の姿勢だろうか。「ご指摘を感謝します」などとお茶を濁すのではなく、「弘安2年の戒壇本尊を書写した本尊であるという議論は、大正時代になって初めて生じた議論である」との私論は間違いでした、と正直に訂正するのが指摘をしてくださった方への礼儀であり、学者の取るべき態度ではないか。。
このように氏は自らの誤認への訂正を一切しないばかりか、追記と称して「書写の議論」から「書写の実際」に話をすり替えているのだが、その追記にしても、氏はいったい何をもって「戒壇本尊とは異なった図顕讃文が書かれている」と断定しているのか、その根拠は示されていない。
上記訂正と共に、追記の根拠も示すべきである。