投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 6月11日(木)21時04分23秒     通報 編集済
池田先生の人生は、ただただ、戸田先生の教えをそのまま実践してこられたのだと思います。師の教えを寸分たがわず実践しし、構想を全て実現された。それを後継の弟子に教えられている。師の恩に報いる生き方こそ至上の生き方であると。

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【2008年6月本部幹部会の池田先生指導抜粋】

戸田先生は言われた。

「戸田城聖は、どこまでいっても戸田城聖である。広宣流布の闘士である!
創価学会は、どこまでいっても創価学会である。師子の陣列である!
これを忘れるな!」
この決意で進もう!

「困難な環境が多ければ多いほど、心を鍛えてくれる材料が多いということである」
──これはトルストイの最晩年の言葉である。
立場や肩書が偉くなっても、困難から逃げ、遊んでばかりの人間は、ひとつも偉くない。

インドの大詩人タゴールは、「騙慢なるもの永遠のものならずと知るべし」
(鳩山芳郎訳「ナショナリズム」、『タゴール著作集第8巻』所収、第三文明社)と喝破した。
慢心を切るのは、「声」である。正義の声をあげるのだ。
18世紀フランスの思想家ヴォルテールは「精神に正義がなければ、何もありません」
(高橋安光編訳『ヴォルテール書簡集 1704-1778』法政大学出版局)と綴った。

また、古代ギリシャの詩人ピンダロスの言葉には、
「男どもの剛勇こそが、もっとも高い城壁としてそびえるのだ」
(内田次信訳『祝勝歌集/断片選』京都大学学術出版会)とある。
「一人」立てば、その人が「城」になる。勇気ある青年こそ、正義の無敵の城である。
創価班、牙城会の皆の姿は、そのようになっている。
諸君のいるところに、学会の偉大な強さがあり、人間革命の姿がある。
師匠の恩を知る者は、必死になってその恩に報いるものだ。
また、正法を求め、護り、わが身をなげうつ先人の説話は、御書のなかにも、数多い。

私は、戸田先生に対して恩を報じた。戸田先生も、牧口先生に恩を報じた。
この報恩の心を忘れてしまえば、将来の学会は心配だ。

青年の育成に、これから、もう一度、力を入れていきたい。
これが今の私の決心であり、心境である。頼むよ、青年部!

大事なのは青年です!
〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉

いざという時に、不惜身命で、師の恩に報いよ! これが大聖人の教えである。
このことを、青年部の諸君に、また、真実の学会の同志にこそ語っておきたいのだ。