2015年6月1日 投稿者:だいせーどー 投稿日:2015年 6月 1日(月)09時00分53秒 通報 【「天鼓事件とその裏舞台」解説シリーズ】 まことにありがとうございます。わかりやすいです。 断片的に知っていたことがつながってきました。今後の展開が楽しみです。 ●平成12年(2000年)暮れの加藤政局で、加藤氏が失脚した後、 報恩社は言ってみれば「絶頂」の時期でした。 →I藤Yが、「国民に人気がある政治家で新しい政党ができる動き」と K林の危機感を語っていたところがありましたが、これと関係しているのでしょうかね? ●頼みの「谷川会長・佐藤理事長」体制も、いつまで経っても誕生しない。 ●平成12年(2000年)7月で、秋谷会長の任期が、池田先生の任期19年間を超えること になるところから、「先生はそれを許すはずがない。その前に会長は絶対交代する 今度は、「平成13(2001)年5月3日で、絶対に交代する」と言っていましたが、 やはり、それもありませんでした。 →このあたりの話は伝聞で多少聞き及んでいました。 ●さらに、追い討ちをかけるように、池田先生が本部幹部会(カットされている部分)等で、 「東大卒は会長にしない」と何度も発言され、 「創大卒で中心を固める(7月全体会議での発言)」と宣言されました。 →この話も男子部内で漏れ伝わっていました。 ●友人の話によると、秋谷会長はその時、こう語ったそうです。 「何を考えているんだッ。徳州会というのは、自由連合だぞ」 都知事の反共と都議会公明党の連帯感、 そして、佐藤ピロシくんの都知事ビデオ(ハイエナ政党)と反共ビラの配布など。 今考えると謀略活動だったのか。と納得です。 ================================= 【「天鼓事件とその裏舞台」解説シリーズ】パートⅢ① http://6027.teacup.com/situation/bbs/25541 【「天鼓事件とその裏舞台」解説シリーズ】パートⅢ② http://6027.teacup.com/situation/bbs/25542 ================================= Tweet