投稿者:正義の走者   投稿日:2015年 5月27日(水)14時50分15秒     通報 編集済
今回の教義改定及び、解説に深くかかわっているとされる宮田大先生が、今頃になってまた改正擁護の論文を発表した。

一読したが、創価学会の教義がいったいどうなっているのか、曖昧模糊として未だによくわからない。

その結論を要約すれば、「上代に書写に関する具体的な文献がないから、それぞれがそれぞれに考えればいい」ということらしい。

本当にそう思っているなら御本人が責任をもって独自に書写したらいいと思うが。

少なくとも私は、宮田大先生の人物や思想を知らないまま、その書写した本尊を拝むことはないだろう。

さて、上代がどうであったかは別として、現在創価学会が奉っている御本尊は日寛書写であり、日昇書写であり、日達書写である。

書写した本人の認識や意図を無視して、それを都合よく利用するのは正しいやり方なのだろうか。

宮田大先生は言う、

「日蓮正宗の法主が書写した本尊は、弘安2年の戒壇本尊を書写した本尊であるという議論は、大正時代になって初めて生じた議論」だと。

だとしたら、そのような間違った認識を尊守して書写した日昇や日達の書写御本尊をなぜ拝むのか。

更に宮田大先生は、

「戒壇本尊を書写したという議論がたかだか100年しかない」といい、日寛にもその様な発言は無いという。

文献至上主義者らしからぬ大誤認である。日寛も読んでいない学者先生に、日寛を評価したり超えたりできると原田さんや谷川君は本気で思っているのだろうか。

なんとも危うい話ではないか。

さて、この掲示板の方々は既にご存知の「大正時代に初めて生じた議論」という大嘘、

また「日寛も言っていない」という大嘘、いや誤認にいつ気付かれて撤回されるのか、

皆さん気長に待ちましょう。