投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月26日(火)00時50分10秒     通報
池田大作全集71巻より
墨田、荒川区記念支部長会 (1988年10月12日)⑤
■人を育てゆく人が真の指導者

さて、時節到来として動き出した筆頭国老らは、藩主にあてて、兼山打倒のための「 弾劾書 」を書く。悪意の″告発の書″の通例にもれず、大義名分を整え、美辞で飾った文であった。

彼らは考えた。「藩のため、日本のためと 誇称する土木工事その物を悪いと申しては、あるいは理が立たぬかも知れぬの」――そこで、大義名分として、

(1)武士たちが租税で苦しんでいる。
(2)農民たちが工事で苦しんでいる。
(3)町人たちが御用金で苦しんでいる、
の三点をあげた。

のちに彼らは、ごていねいにも、町人・農民・漁民の代表を呼び、政治への苦情を上申させた。封建制度にあって、藩政を公然と批判させること自体、特例中の特例である。

ふだんは、民衆のことなど考えもしない彼らが、この時ばかりは″民衆の声″を持ち出してきた。ここにも彼らの 狡猾さと、いかに追放の口実を欲していたかを見ることができよう。

事実、土佐藩において、このように民衆の意見に耳を傾けることなど、このあと、ただの一度もなかった(横川末吉著『野中兼山』吉川弘文館)。

「民衆のために」
──口では何とでも言うことができる。しかし、現実に彼らは何を行ったのか。

ただ、自分の利益を守り、拡大することにのみ動いたのではないか。それこそ、権力にすりより、民衆と権力を利用する者の正体である。

筆頭国老らの告発書が出されてから、わずか十日後に、兼山の辞職は決定する。藩主とも内々の打ち合わせができていたことは言うまでもない。

むろん、藩主の命は絶対である。
「藩主中心の土佐藩」
──それは、兼山自身が半生をかけて営々と築いてきた体制であった。

その努力が、最終的には、彼自身への 刃となった。とともに、兼山失脚の背景として、彼が登用した人材の 不行跡があった。

兼山の名を利用しながら、カゲでは兼山の命に背き、権力をカサに着ての不正や手抜き、民衆いじめを繰り返していた 徒輩がいたのである。その小役人への不満や恨みが、兼山一人に集中した。
兼山は屋敷に帰り、謹慎した。そこで、彼は、子供たちを集め語る。

「今、ここで父の申すことがわからなくも、そ
の芽を、そち達の胸の 中うち に残し置いて、やがてそれが、大きな木となり枝となって、はっきりとしてくる日があるように致すのじゃ」
と前置きし、

「人間はいかなる場合でも休んではならぬ。どのように踏まれても 叩たた かれても、いつでも再び飛び上がる、以前よりもっともっと高く飛び上がれる心の備え、身の備えがなくてはならぬ」と。

また
「いいか、土佐──いや日本国はこれから一日一日と開けてゆく。人も 殖ふ える。一人の野中兼山では足りない。百人の兼山、千人の兼山。そなたたちは、一人のこらず、この父の上に立つ、この父を土台とした立派な野中兼山にならなくてはならぬのだ」──。

民衆のために必要なことなら「いつでもその実行に取りかかれる学問の度胸と

──いや、それよりも、もっともっと大切な、信念と誠実と、この日本国を思う忠誠の心とがなくてはならぬ。いいか、一日なりとも学問を 怠おこた っても、この父が許さぬぞ」──。

兼山には、おのれ一身の行く末など眼中になかった。ただ国のため、民衆のため、いかに真の後継ぎを、百人の兼山、千人の兼山を育てるか、それのみが気がかりであった。

私も、まさに同じ心境にある。広布の舞台はますます広がっている。後継の青年に対し、兼山と同じ言葉で呼び掛けたい気持ちでいっぱいである。

だが、諸君のなかには、「一日たりとも休んではならぬ」というのでは、体をこわしてしまうという人もいるかもしれない。むろん、休息も必要であろう。ただ私は、諸君に「絶対に退転だけはしてはいけない」と、心の底から訴えておきたいのである。

兼山は、子らに対し、「父を土台にして……」と語った。そこに、私は、自分が生きている間にすべてを教え、残しておきたいとの、深い心情を見る思いがしてならない。

次元は違うが、日蓮大聖人も、後継の門下に対し、繰り返し、同様の御心情を述べられている。

云く「しらんとをもはば日蓮が生きてある時くはしくたづねならへ」
──(法門のことを)知ろうと思ったなら、日蓮が生きているうちに、詳しく聞いて身につけておきなさい──。

また「志あらん人人は存生の時習い伝ふべし」
──(求道の)志がある人々は、(日蓮が)生きている時に学び、伝えなさい──と。

大聖人は、令法久住、万代の広布の前進のために、門下の育成に全力で当たられた。そして、後事の一切を託された日興上人御一人が、その御心のままに立ち上がられたのである。

指導者は、民衆のために自らを犠牲にして、人を育てる。独裁者、権力者は自らの保身のために人を使い犠牲にする。人を育てたか否かの一点でこそ両者は厳然と分かれるのである。
■人間としての旅路を悔いなく

戸田先生は、水滸会の席などで、よく「英雄は悲劇である」と言われていた。最後の悲劇性ゆえに英雄というのか、それとも人知を超越した行動のゆえに英雄というのか、私には分からない。

ただ、大聖人についても「外用(げゆう)の一次元からすれば、大聖人の御生涯も悲劇の連続であられた」と、戸田先生が、涙を浮かべ、語られていたことが、今も忘れられない。

さて、兼山の登用した人々の追放が始まった。兼山自身にも、切腹の命が下されるだろうとの、うわさも伝わってきた。しかし、彼は 自若じじゃく としている。

「驚くことはない。そのくらいのことがあってもいいではないか」「今ここで兼山を殺しても、損をするものは兼山ではなく、土佐じゃ、日本国じゃ──」

信念に生きる者は、これぐらいの決意と自負がなければならない。

「しかし、兼山は幸せ者じゃったなァ。(中略)土佐のために、日本のためにつくしてきた。港も 堰堤つつみ も、河も、山も、みな兼山の血潮とともにあのままに残ってくれる」と。

彼は「自分のこと」ではなく、自分の残した「仕事のこと」のみを考える男だった。

私も、大聖人の御遺命である広宣流布のために走り抜いてきた。そして数多くのことをやり遂げ、残してきたつもりである。私の人生には全く悔いはない。

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池田大作全集71巻より
墨田、荒川区記念支部長会 (1988年10月12日)①
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墨田、荒川区記念支部長会 (1988年10月12日)②
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墨田、荒川区記念支部長会 (1988年10月12日)③
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墨田、荒川区記念支部長会 (1988年10月12日)④
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(参考)
■http://6027.teacup.com/situation/bbs/24971

■http://6027.teacup.com/situation/bbs/24676