投稿者:谷川ひろし   投稿日:2015年 5月20日(水)09時54分44秒     通報
◆何があったのか?《1》-5
投稿者:ダイヤモンドの末席 投稿日:2015年 1月14日(水)15時40分6秒

2001年、悪の三位一体らがH頭氏を追い落としたときも、H氏は声をあげた。
しかし、良心派の職員らは何もしなかった。
これ以後、聖教ではT治らがのさばるようになった。

2006年春、T治らが9年間で5000万円もD出版社にたかった事件が発覚し、
同社経理部長が外郭に飛ばされた。このときも、H氏は声をあげた。
しかし、良心派の職員らは何もしなかった。

結果、T治はお咎めなし。逆に、同年夏、声をあげ続けたH氏が諭旨退職させられた。
しかし、良心派の職員らは何も動かなかった。それどころか、T治は編集局長に昇進し、
副会長にも抜擢された。すさまじいパワハラの嵐の始まりである。

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◆何があったのか?《1》-6
投稿者:ダイヤモンドの末席 投稿日:2015年 1月14日(水)15時40分6秒

2009年、T治一派の横暴は頂点に達した。狂気の嵐が吹き荒れた。
パワハラに心を病んで出社できなくなった記者も出た。
事ここに至ったとき、聖教の若手らが声をあげた。
さすがに、動かざること山の如しの良心派の職員らも一部ではあるが若手を応援した。
声がCPに届いた。T治一派16人が“打ち首遠島獄門”に。
ただし、解雇や除名にはならないあまあまの処分だった。
しかし、T治事件は、下からの告発で上の不正が糾弾された“学会史上初”の前例となった。

同年夏の総選挙大敗北による自公連立崩壊で、さしもの「悪の三位一体」も息絶え絶えに。
しばらくなりを潜めていたが、2010年夏のCPの病気入院と、民主党政権の自滅で息を吹き返し、
2012年暮れの政権復帰で完全復活。いよいよ本性を露わに。
信濃町で何があったのか!?@ダイヤモンドの末席
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12481/1422336631/1-11

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