投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 5月 6日(水)14時21分1秒     通報 編集済
池田大作全集96巻より
海外代表協議会 (2004年7月17日)

広宣流布に進む人を、諸天は断じて護る。いわんや、海外の大変な環境のなかで戦う皆さま方である。諸天や諸仏が厳然と護ってくださることは間違いない。
草創期、創価学会は、「貧乏人と病人の集まり」と、さんざん悪口され、バカにされたものである。しかし、二十一世紀を迎えた今、学会は、あらゆる次元において、ゆるぎない「日本の柱」となった――そういう声が数多く寄せられる。
仏法は正しい。広布の人は、最後は必ず勝つのである。
皆さまは、毎日毎日、幸福の種を蒔き、育てておられる。たとえ、すぐには花が咲かなくても、時が来れば、必ずや、福徳の大輪が咲き薫る。それを確信するのが信心であり、仏法である。

ブラジルに模範の「笑顔と友愛のスクラム」

あらためて、世界広布の太陽であるブラジルの婦人部の皆さん、本当にご苦労さま!
ブラジルの著名な詩人であるコラ・コラリーナは謳った。

「待つならば、きょう、生命の大地に植えこんだ良き種の収穫を待ちましょう!
植えるならば、いく百万の笑顔とスクラムと友愛を植えましょう!」

婦人部結成の月である本年六月、ブラジル婦人部の皆さんは、二千四百五十四会場に、友人を交えて約十万人が集いあい、楽しく、にぎやかに婦人部総会を開催された。

まさに世界の模範の「笑顔と友愛のスクラム」が広がった。本当におめでとう!

さらに、ブラジルの有名な作家エリコ・ヴェリッシモの言葉に

「幸福とは、人生が空しく過ぎ去っていないとの確信を持つことだ」

とある。
皆さま方こそ、まことの充実と歓喜と福運の一日また一日を、さっそうと進みゆかれる「幸福博士」なのである。

幸福とは、どこか別の世界にあるのではない。財産があるから、有名だから、幸福ともかぎらない。むしろ、それが不幸の原因になることがあまりに多い。

大事なのは「心」である。「心こそ大切なれ」である。
心に「正しい信仰」を持った人が、いちばん幸福なのである。永遠の幸福を勝ち取ることができるのである。

どうか、お帰りになりましたら、尊き同志の皆さま方、ご家族の皆さま方、友人の皆さま方に、くれぐれもよろしくお伝えください。

イタリアSGIも、この十年間で、欧州広布をリードする大発展を遂げている。本当にありがとう!

一九九四年には三総合方面十五方面の体制であったが、今や十九総合方面五十二方面の壮大なる陣容へと発展した。メンバーも二倍を超え、拡大を続けている。

座談会運動も活発である。毎月、三千八百会場で開催され、どの会場でも、毎回のように新しい友を迎えては、有意義な対話の花を咲かせているとうかがっている。

SGIの組織は、どこまでも、「広宣流布のため」にある。「会員の幸福のため」にある。
その根本の目的を忘れないかぎり、断じて行き詰まることはない。
これからも、異体同心の団結で進んでいただきたい。

師弟不二が学会の魂

「後輩を自分以上の人材にしていく」
――この広々とした生き方が創価の父である牧口初代会長の心であった。

後輩を自分以上の立派な広布の指導者に育ててこそ、先輩と言える。
かりにも、後輩を下に見たり、心ない批判をしたり、そういう傲慢な態度であるならば、先輩失格であり、あまりに無慈悲である。指導者失格である。

後輩を育てる
――それは、どこまでも地道な陰の労作業にちがいない。しかし将来、後輩が立派に成長したとき、育てた先輩にこそ、福運は巡ってくる。仏法は、限りなく公平で、深遠な生命の法則を説いているのである。

仏法における先輩と後輩、なかんずく、師匠と弟子の関係ほど峻厳な人間の絆はない。

戸田先生が第二代会長に就任した翌年(昭和二十七年)のことである。当時、全国には、十数支部しかなく、一つの支部の一カ月の弘教が、多いところで百世帯前後。これでは、広宣流布は何万年かかっても達成できない。戸田先生も憂えておられた。

私は「たとえ自分が犠牲になっても、先生を支えるのだ」と心中深く決めていた。

先生は言われた。
「このままではだめだ。大作、立ち上がれ!」
そして蒲田支部の支部幹事として、一カ月で二百世帯を突破する弘教を成し遂げた。

私はつねに突破口を開き、今日まで「久遠の誓い」の大道を走りぬいてきた。

戸田先生は、広宣流布の巌窟王であった。その弟子の私である。恐れるものなど何もない。
牧口先生には、戸田先生がいた。そして戸田先生には、私がいた。

この三代の師弟の「魂の継承」が完璧になされたがゆえに、学会は、何百倍、何千倍にと発展した。

仏法史上に燦然と輝く平和と文化の大連帯を、全世界に広げてきたのである。

戸田先生は、法華経の「在在諸仏土 常与師倶生」(あらゆる仏国土につねに師とともに生まれてくる〈法華経三一七ページ〉)の文を引き、こう記しておられる。

「私と牧口常三郎先生とは、この代きりの師匠弟子ではなくて、私の師匠の時には牧口先生が弟子になり、先生が師匠の時には私が弟子になりして、過去も将来も離れない仲なのです」と。

仏法の師弟は、三世に永遠である。この強靭なる師弟の絆があるかぎり、学会は永遠に勝ち栄えていくことができるのである。