投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月 6日(月)08時49分32秒     通報
08年8月28日付 SP

8.24記念各部合同協議会(2008・8・20)

弟子プラトンの信念 師匠の偉業を歴史に刻まん!
君よ「わが誓い」に生き抜け

“どんな権力にも私は屈しない”

一、ソクラテスが、自らの生涯の栄光としたことがある。
それは、いかなる苦難や迫害に遭おうとも、断固と正義の道を貫き通したということである。

ソクラテスは叫んだ。
「あれほど強大な権力を持っていた政府も、私を威嚇して何らの不正をも行わしめることが出来なかった」(前掲、久保勉訳)

「わたしは、正義に反することは、何ごとでも、いまだかつて何びとにも譲歩したことはない」(前掲、田中美和太郎訳)

「私は、決して私の行動を変えないであろう、たとい幾度死の運命に脅かされるにしても」(前掲、久保勉訳)

正義のためならば、何も恐れない。断じて負けない。絶対に屈しない。
その金剛不壊の魂を抱いていたのが、ソクラテスとプラトンの師弟であった。

ソクラテスは言う。
「すぐれた善き人間が、劣った悪しき人間から害を受けるというようなことは、あるまじきことだ」(前掲、田中美知太郎訳)

いかなる邪悪な企みも侵すことのできない、はるかな正義の高みに到達した、悠然たる大境渥といってよい。

信念の獄中闘争

一、ソクラテスは、嫉妬の誹謗と迫害によって、不当に囚われた牢獄にあっても微動だにせず、信念の対話を続けた。

いな、死を前にした牢獄において、その対話は、いや増して荘厳な光を放っていった。
牧口先生の獄中闘争も同じである。

牢獄を訪れた友に対して、ソクラテスは鋭く問いかけている。

──正義と不正、美と醜、善と悪などに関して、私たちは多数者の思惑を恐れ、それに従わねばならないのだろうか。

それとも、もし、ただ一人でも、その道に通じた人がいるならば、それ以外の人全部を合わせたよりも、この先達の意見にこそ、従うべきだろうか?

そして、ともに問答を進めながら、ソクラテスは結論として言った。

──よき友よ、かの多数の者どもが、私たちのことを、どう言うだろうかというようなことには、まったく気をつかわなくてよいのだ。
むしろ、ただ一人であっても、正義と不正について知悉している、その人が何と言うのか、また真理そのものが何と言うのか、ということの方が、大切なのだ(田中美知太郎訳「クリトン」、『プラトン全集1』所収、岩波書店を参照)。

深き哲学も信念もない、付和雷同の人間たちが何と言おうが、かまわないではないか。

大事なことは、ただ一点、正義と真実の道を歩んでいるかどうかだ、というのである。

ソクラテスは、その通りの人生を生きた。弟子のプラトンもまた、師の教えを胸に生き抜いた。
無実の罪で刑死させられた師匠の仇を討ち、師匠の正義を人類の永遠の歴史に光り輝かせていったのである。

大恩を忘れない

一、創価の三代の師弟も、誇り高き師弟の道を歩み通してきた。
戸田先生は、日本の広宣流布の基盤を築き、軍国主義と戦って殉教された牧口先生の仇を討たれた。
私は、戸田先生のために死力を尽くして戦った。先生をお守りするためには、わが身を顧みなかった。

弟子として、師匠のために何ができるか──ただ、そのことだけを考えていた。
そして、先生亡き後は、全世界に平和の連帯を広げ、恩師の偉業を宣揚することで、戸田先生の仇を討った。

これが、本当の「創価の師弟」である。「弟子の道」である。

私と対談集を発刊した、オックスフォード大学のブライアン・ウィルソン博士は、こう語ってくださった。

「池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の言葉には、いつも、恩師への敬慕と心からの感謝が、あふれています。戸田第2代会長から受けた恩の深さを、決して忘れることはありません」

「本当に偉大な変革者や指導者は、先人や過去の業績を讃えるものです」

私は、今も、胸中の戸田先生と対話をしながら、世界広布への指揮を執っている。
皆様も、この「師弟の大道」をまっすぐに進み抜いていただきたい。断じて勝利の人生を飾っていただきたい。

「君よ、生涯、わが誓いに生き抜け!」と申し上げて、私のスピーチを結びたい。
長時間、本当にありがとう!(大拍手)