投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年 8月 7日(木)22時10分34秒

― 一人旗持つ ―
「ここ歴史に残るであろう 箱根の天地で共に広布の未来を語りあい 寝食を共にした我が最愛の 鳳雛の弟子たちよ この地を忘れることなかれ 我いかなることあれど その偉業を 必ずや 君達が 雄渾な信心にて 又炎の使命感を持ち成就しゆくことを 私は固く信じている

合掌 昭和54年7月16日  神奈川文化会館にて

狂気の讒言の中 一人正義の旗を持ち耐えつつ 君等を偲びつつ」

池田先生は、邪悪な宗門と師弟を忘れた最高幹部から多くの制約を受けながら、たったお一人で戦いを開始された。

そして、昭和54年7月22日、日達法主が亡くなりました。先生は、朝4時か5時ごろから車の手配をされ真っ先に到着されたそうです。

そして、この頃になって初めて、Y崎等の謀略が明らかになったのです。

55年の8月には「会員がかわいそうだし、希望も何も見いだせない。どうしてもこれから「人間革命」を連載するんだ」と言われ、担当の記者が「大丈夫でしょうか」と言うと、厳しい顔をされ「わかっている。会員を激励するのはだれがいるのか。

もし責任をとるようなことがあれば、私一人が責任を取ればいい」こうして「人間革命」11巻の連載が開始されたのです。