投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 3月21日(土)19時23分53秒     通報
スピーチ 「5・3」記念協議会 (2006. 3.29)

「鳩摩羅什の師弟のドラマ」

今回、称号を贈ってくださった地はいずれも、二千年を超す悠久の歴史を持ち、ギリシャ・ローマ文明、ペルシャ文明、さらにインド文明、中国文明が出あった「文明共生の天地」である。

あのガンダーラで興隆した仏教は、紀元前後に、カシュガルに伝来したと考えられている。そして西暦四世紀ころ、カシュガルで刻まれた師弟の出会いは、「仏教東漸」の推進力となった。その出会いとは、妙法蓮華経の漢訳者として、あまりにも名高い鳩摩羅什と、その師匠・須利耶蘇摩との師弟のドラマである。

鳩摩羅什は、若き日、カシュガルの地を訪れ、師から薫陶を受けた。そして、その師から、法華経を「東北」へ弘通することを託された。この逸話については、大聖人も繰り返し、御書に記しておられる。

たとえば「曾谷入道殿許御書」には、こう仰せである。

「 僧肇そうじょう の法華翻経の後記には、こうある。『須梨耶蘇摩という鳩摩羅什の師匠は、左手に法華経を持ち、右手で羅什の頭をなで、羅什に法華経を授与して言った。″太陽が西に沈むように、仏(釈尊)が西(インド)に入滅されて、その残光が、まさに東北に及ぼうとしている。この経典(法華経)は東北に縁がある。あなたは心してこの法華経を伝え弘めよ″』と。

私(日蓮)は、これを拝見して、両眼から滝のごとく涙が流れ、喜びが体にあふれるのである。『この経典は東北に縁がある』というのは、西天のインドは西南の方角であり、東方の日本国は東北の方角である。インドにおいて『東北に縁がある』とは、日本国のことではないだろうか」(御書一〇三七ページ、通解)

まことに厳粛な仰せである。鳩摩羅什は師弟誓願のままに、法華経をインドの東北に位置する中国へ伝え、さらに東北の日本への流通の道を開いた。そして、日蓮大聖人は日本に御聖誕なされ、あらゆる迫害と戦い、末法広宣流布という法華経の未来記を実現していかれた。

今回、いただいた名誉称号は、仏法史上、まことに意義深い地からの栄誉なのである。

「仏法西還を学会が実現」

さらに大聖人は、羅什の足跡を踏まえながら、こう仰せである。
「正像二千年には、仏法は西から東へ流伝した。ちょうど暮れの月が西の空から始まるようなものである。(夕方、月が見える方向は、新月が西で、月齢が増すに従って東へ移り、満月は東に見える)

末法のはじめの五百年には、仏法は東から西に返るのである。ちょうど朝日が東の空から出るようなものである」(御書一〇三八ページ、通解)
この大聖人の「仏法西還」、そして、「一閻浮提広宣流布」の仏意仏勅のままに立ち上がったのが、わが創価学会なのである。

昭和二十六年(一九五一年)五月三日。晴れわたる青空のもと、第二代会長に就任された戸田先生は、高らかに「東洋広布」を宣言された。
昭和三十五年(一九六〇)の五月三日。私の第三代会長就任式の会場には、戸田先生のお歌が掲げられていた。

いざ往かん
月氏の果てまで
妙法の
拡むる旅に
心いさみて

今、世界広宣流布の連帯は、百九十の国々・地域に広がった。

アジア、北米、中南米、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカ――SGIの共は、今や地球のありとあらゆる場所で、仏法の人間主義を基調に、平和・文化・教育の運動を広げている。

アジアでは、戦乱に苦しんだカンボジアでも、オセアニアでは、太平洋に浮かぶパラオやミクロネシア連邦でも、また中南米では、エルサルバドルやベリーズなどでも、メンバーが活躍している。ヨーロッパでは、ナポレオンの誕生の地コルシカ島や、民族紛争の悲劇から復興を進めるセルビア・モンテネグロでも、わが同志の存在が希望の光を放っている。

さらに、アフリカでは、南アフリカ、トーゴ、カメルーンなどで、立派な女性理事長が誕生し、異体同心の前進をされている。

私が皆さま方を代表して、世界の各都市からお受けした「名誉市民」称号の数も、四百三十を超えた。また、ブラジルの各都市で、5・3「創価学会の日」を祝賀する慶祝議会が開かれるのをはじめ、南米各国でも、SGIへの共感の輪が広がっている。

これらは、すべて、わが同志の方々が、各国・各地域の模範の市民として勝ち取ってこられた信頼の結晶なのである。

「指示待ちや受け身の心が前進を阻む」

さて、「栄光の大ナポレオン展――文化の光彩と人間のロマン」は、おかげさまで、東京展、九州展、四国展を大成功で飾り、現在、神戸市の関西国際文化センターで開かれている。

二十五日の開幕式は、関西を代表する約三百人の来賓が出席され、盛大に開催された。
ナポレオンは、奥が深い。その「光」と「影」、「栄光」と「悲劇」、「勝利」と「敗北」から、じつに多くの教訓を引き出すことができる。
たとえば、「ワーテルローの戦い」で、ナポレオンは、なぜ敗れたか?

当然、さまざまな角度から分析できるが、一つの要因として、ナポレオンの側近や部下たちの多くが命じられなければ動けない、動かないという、いわば「指示待ち」の体質になってしまっていたことが指摘される。

一人一人が″ナポレオンだったら、どうするか″を考え、責任を担って行動する、一騎当千の獅子の集団ではなくなった。「保身」と「事なかれ主義」が横行する、硬直した組織になってしまったというのである。

ある将軍は、こう記している。
「ナポレオン補佐の将軍たちは、ナポレオン直接指揮のもとに二万五千の部隊を動かすときは優秀であるが、自分たち自身の着想で大軍を指揮するだけの力量はなかった」(長塚隆二『ナポレオン』下、読売新聞社)

著名な作家ツヴアイクも、そうした視点から「ワーテルローの戦い」の敗因を論じている。
すなわち、ナポレオン軍の勝敗の帰趨を握った将軍(グルーシー)が、他人の命令に従うことに慣れ、自分で決断できない人物だったために、いたずらに命令を待つだけで、突入する時を逸し、勝てるチャンスを逃してしまった。

肝心の、ナポレオンの″突入せよ″との命令も、伝令が遅れ、その将軍のもとに届いたときには、一切が手遅れになっていたというのである。(『人類の星の時間』片山俊彦訳、みすず書房、参照)

もしも、その将軍が、ナポレオンと同じ責任感に立って、決断し、行動しゆく勇気をもっていたなら、歴史は変わっていたかもしれない。これは、あらゆる組織に当てはまる示唆をはらんでいると言えよう。

いわんや、広宣流布の組織において、指示待ちゃ受け身の心があれば、前進を阻んでしまう。その行き詰まりを打開しゆく根本の力が、「師弟」なのである。

「師匠ならば、どうされるか」

私は、若き日から、つねに″戸田先生なら、どうされるか″を念頭に置き、先生と同じ責任感に立って、思索し、動き、戦っていった。三障四魔、三類の強敵と戦い、難を受けきられながら、広宣流布の指揮を執られる先生の「境地」を、私は信じぬいて、先生にお仕えした。

私が音楽隊や鼓笛隊をつくり、文化祭を推進し、新しい文化運動の流れを起こしたのも、戸田先生の遠望を拝察して、その具現化のために、絶対に必要であると着想したからである。当時の幹部はだれもが反対したが、戸田先生は、「大作がやりたいように、やってみなさい」と、応援してくださった。

今日の創価学会の「平和」「文化」「教育」の世界的な運動の広がりは、すべて、この「師弟不二」の一念によって成し遂げられてきたものである。このことを、深く知っていただきたい。

「肩書は虚飾、権力は堕落」――英国詩人シェリー」

戸田先生は、「戦いは、あくまでも攻撃だよ。攻撃精神だよ」とおっしゃった。
また、人材育成について「大事にするのは、そっとして置くこととは違う。うんと働かせるほうがいいぞ」とも訴えられた。

学会の師弟の世界が、心ない中傷にさらされ、同志が馬鹿にされた時、「本気で怒る人」「死にものぐるいで戦う人」こそ、本物のリーダーである。

それを、真剣に怒らず、高みの見物をしているような人間は、偽物である。絶対に信用してはならない。とくに、未来のために、若い世代を育てるために、本当のことを言っておきたいのである。

純粋な学会員の皆さまのおかげで、創価学会は世界に広がった。大発展した。だからこそ、最高幹部の責任は重い。懸命に広布に励んでくださる、
大切な同志が苦しむようなととがあってはならない。尊き民衆の城を護りゆくために、リーダーはみずからが矢面に立って邪悪と戦っていくのだ。

イギリスの詩人シェリーは「肩書は虚飾、権力は堕落」(『飛び立つ鷲』阿部美春・上野和廣・浦壁寿子・杉野徹・宮北恵子訳、南雲堂)

外から、内から、和合の団結を破壊しようとする動き。慈愛のかけらもなく、己の醜い欲のために、うるわしい世界を食い物にしようとする魔性――。

そうした魔の蠢動を打ち破るのは、「信心の剣」である。戸田先生が、おっしゃっていた「攻撃精神」なのである。