投稿者:コモンセンスメール   投稿日:2015年 3月18日(水)20時47分28秒     通報
重要な「遠藤文書」が浮き彫りにした問題の一つが、「創価学会は池田先生が基準ではないのか」という点だったと思います。

今から百年、二百年も経った時に、信心あり気な陰謀家が出現する可能性もないわけではないでしょう。そんな時に飛び出すトンチンカンな議論ならともかく、今の今、改めて、現職の執行部に、そんな言葉を突き付けなければならないとするならば、それは、まさしく異常事態と言わなければなりません。

なかには、これだけ時代が激しく変化していることだし、まして、独立した教団となった以上、「会則改定」は当然なのではないか、と肯定する声が根強いことも事実でしょう。

私が申し上げたいのは、二十一世紀どころか、二十二世紀、二十三世紀を展望されている池田先生です。その慧眼の先生が、たかだか二十一世紀の前半でしかない今日、こうした混沌とも言うべき事態を、前々から想定していなかった、などと考えること自体、誤りだということです。

「先生も、残念ながら、ご高齢になられたので……」などと考える方がいらっしゃるとすれば、それは、すでに“基準”からの脱線の始まりです。

草創の方々は、さまざまな場面で、笑いながら、よく言ったではありませんか。「先生は、全部、お見通しだもんネ」と。それを、今日、ことさら強調しますと、いささかカルトっぽくなり、眉を潜める方もいらっしゃるでしょう。

しかし、幾多の大難が執拗に襲い掛かって来た創価学会です。はたからすると、如何にも紆余曲折、右往左往したかのような足取りに見えるかも知れません。しかし、先生ご自身が言われているように「広宣流布という絶対幸福の軌道を永遠に外れることなく」進んでいることは、誰の目にも明らかなのではないでしょうか。

大聖人の仏法をそのまま、そして、初代会長、二代会長の精神を、いささかもブレずに実現させているのです。揺るがぬ信念、そして、時代の流れを見る的確な「眼」無くしては、到底、成し得ることではありません。

その鋭い「眼光」が衰えた? まさか!

それならば、先生は、何故、「悪の四人組」+「α」の暴挙を阻止されるなり、彼らの悪事を糾弾されないのか、と反論される方は少なくないと思います。

絶対に、見誤ってはなりません。全ては、先生の「掌」にあることを。

先生を矮小化したり、いささか品のない言い方ですが、甘く見てはいけません。

その理由については、後ほど……。(つづく)