2015年3月15日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2015年 3月15日(日)18時28分45秒 通報 「5・3」記念祝賀代表者会議 (2005. 4.15) 退転・反逆の方程式はいつの時代も同じ インドの詩聖タゴールの小説に、次のような言葉がある。 「地位が上がれば上がるほど精神的には堕落する一方だ」(『ゴーラ』我妻和男訳、『タゴール著作集』3所収、第三文明社) ドイツの大詩人シラーの戯曲には、こうある。 「地位が高ければ墜落も大きい」(『ヴレンシュタイン』鼓常良訳、岩波文庫) 「魚は頭から腐る」ともいう。 高い地位にある人間ほど、堕落しやすい、また危険も大きいとの警鐘にほかならない。自分は偉い、自分は特別だと思う心の隙に、「魔」がつけいってくるのである。 歴史を振り返れば、大聖人の御在世にも、日興上人の時代にも、退転し、反逆していった人間がいた。そのなかには、坊主や社会的に上層の立場の者もいた。 戸田先生は、その歴史を通しながら、つねづね、最高幹部を厳しく戒めておられた。 戦時中、創価教育学会に対する軍部権力の弾圧によって、二十一人の大幹部が逮捕された。このうち、牧口先生、戸田先生以外は、次々と退転していったのである。その後も、戸田先生のもとで理事長まで務めた人物が、学会に弓を引いて去っていった。 近年もまた、学会の同志の、おかげで偉くなりながら、″権力の魔酒″に溺れ、傲慢になり、恩を忘れ、最後は学会を裏切り、反逆していった人間たちがいた。皆さんがど承知のとおりである。 ここに、退転・反逆の一つの方程式がある。 御書には、後々の教訓のために、退転・反逆した人間の名前が、厳然と刻印されている。 それは、「三位房」「少輔房」「能登房」「名越の尼」らである。大聖人から薫陶をいただいた弟子であり、また、お世話になった者たちである。 その本性を、大聖人は、「欲深く、心は臆病で、愚かでありながら、しかも自分では智者と名乗っていた連中だったので、ことが起こった時に、その機会に便乗して、多くの人を退転させたのである」(御書一五三九ページ、通解)と書き残しておられる。 「自分では智者と名乗る」と見破られているように、そういう人間の本質は、慢心であり、虚栄であり、見栄っ張りであった。 また大聖人は、京都に上って、貴族社会に出入りを始めた門下が、総じて、「はじめは(初志を)忘れないようであるが、後には天魔がついて正気を失ってしまう」(御書一二六八ページ、通解)ことも、厳重に訓戒なされていた。 虚飾の世界に流され、信心を見失い、初志を忘れてしまってはならない。 これらの退転者は、ひとたび難が起こると、大恩ある大聖人に対し、「我賢し」と傲り高ぶって、教訓しようとさえした。 大聖人の門下でありながら、後に退転した人間に、武士の長崎時綱や大田親昌がいた。熱原の法難のさいに、その立場を悪用して、門下迫害の急先鋒に立ったことは、現代にも当てはまる歴史の教訓である。 しかし、この輩が厳しい「現罰」「別罰」を受け、滅び去っていったことも、これまた御書に記されているとおりだ。(「聖人御難事」一一九〇ページ) だからこそ、大聖人は、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」と厳命されているのである。 日興上人は「今は背き了ぬ」と明確に断罪 大聖人の御入滅後、六老僧といわれた六人のうち、日興上人を除く五人の高弟すべてが、師に背き、日興上人から離れていった。 日興上人が残された「弟子分本尊目録」(弟子分帳)には、日蓮大聖人が認められた御本尊を授与された、六十人余の日興上人の門下の名前が記されている。そのなかに、僧侶もいれば、在家もいる。社会的地位のある人間もいれば、無名の庶民もいる。しかし、日興上人は僧俗ともに分け隔てなく「弟子」と記しておられるのである。 ご存じのように、この「弟子分帳」では、その人間が、信心を全うしたのか、退転したのかが、一人一人、明確に記録されている。大聖人の御真筆の御本尊を受持した、最高に誉れある弟子である。当然、全員が、後継の日興上人のもと、心を一つに、御遺命たる広宣流布に逼進していくべき立場であった。 しかし、六十人余りの中で十二人が「但し今は背き了ぬ」「但し聖人(=大聖人)御滅後に背き了ぬ」等と断罪されている。その退転の十二人は、坊主や社会的に地位の高い者等であった。要するに、増上慢であり、無責任であり、保身であり、また嫉妬であった。 反対に、殉教した「熱原の三烈士」をはじめ、無名の庶民の門下たちは、勇気ある信心を貫き通して、三世永遠の栄光と福徳に包まれている。 学会においても、権力を笠に着て、同志を苦しめ、裏切った反逆の輩については、一人一人、明快に断罪し、その名を後世に厳然と残しておきたい。同じ轍を踏む人間を絶対に出さないために。また、こうした問題で次の世代が困ることのないよう、厳しく戒めてまいりたい。 御金言に、このように仰せである。 「(釈尊の弟子の)須利槃特は、三年かかっても十四文字を暗唱できなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵という膨大な聖典を暗記していながら、無間地獄に堕ちた。このことは、ひとえに末法の今の世のことを表しているのである。決して他人のことと思つてはならない」(御書一四七二ページ、通解)と。 増上慢の人間は最後は敗北する。仏法の世界は、真面目に、地道に、誠実に戦いぬいた人が、必ず勝つのである。 戸田先生も、よく言われた。 「いわゆる″偉い人間″なんか信用できない。いざというときに、臆病で、逃げる。卑怯な、インチキの人間が多いものだ。いちばん信用できるのは、庶民だ。健気な婦人部をはじめ、無名の庶民なんだよ」 本当に、そのとおりである。 私と対談集『二十一世紀への警鐘』(本全集第4巻収録)を発刊したローマ・クラブの創設者。ペッチェイ博士も、ファシズムと戦い、投獄を耐えぬいた日々を振り返って、述べられた。 「牢獄では、頼れるものは自分の信念と人間性だけです。ふだん、皆に号令をかけているような人間ほど、もろかった」「私は、変節漢がいちばん、きらいです」 一人の人間として、わが信念と人間性を最高に光り輝かせながら、生きぬく人生が、もっとも強く、もっとも尊いのである。 Tweet