投稿者:ロマン   投稿日:2015年 3月10日(火)23時13分33秒     通報
長いですが引用させていただきます。

『壮年部は中核であり重鎮』
夏期講習会壮年部全国大会 昭和41年8月3日

三番目に申し上げたいことは、正論には謙虚に聞いていただきたい。
私たちは、お互いに凡夫です。万能ではなく、必ず欠点があり、知らないこともたくさんあります。

したがって、多数の人に意見を述べてもらい、それを冷静に判断して「この人は学会のためを思い、信心のうえから述べていることであり、全体の幸福のことを考えている正論である、これは皆で聞こう」こういう度量のある指導者であり、壮年部であっていただきたい。

学会は権威主義、ならびに名聞名利であっては絶対にいけない。それでは必ず行き詰ってしまいます。自分のたんなる感情で、下からの意見を抑制しては絶対にならない。

伸びのびと皆が意見を述べられるようにしてあげ、それで、よい意見は取り上げて、実行に移す。よい意見をいった人は、ほめなければいけない。

なお、会員を自分の部下のように思って、命令で動かそうと思ってはならない。それでは権威主義であり、信心ではない。学会の根本的な行き方ではありません。

しょせん、絶対に威張らぬことです。そして、とくに陰で苦労している人に、暖かい思いやりをもっていただきたい。

(中略)

六番目に申し上げたいことは、きのうまでの功績に酔ってはならない。もしか、これまでの功績に酔うような人は、五老僧の眷属です。五老僧は大聖人のもとで、大聖人滅後まで活躍してきたという功績に酔って、日興上人に師敵対して、地獄に堕ちております。

幹部になった、理事になった、総務になった、おれはこれだけの組織をつくったのだ、おれはまえは最高幹部だったのだ等々、過去のことに酔って、今の瞬間を大事にしなかったならば「只今を臨終と思って、妙法を唱えなさい」という大聖人の御金言に反します。

功績主義で、功績のみにとらわれて信心をなくしてしまうようになったならば、そのような人は成仏できない。むしろ、その人は、魔の存在に変わります。

したがって、瞬間瞬間、生命のあるかぎり題目を唱え、より以上福運を積んでいこう、広宣流布に御奉公しようという、その信心、その求道心を堅持しつつ、絶えず未来をめざして進む人が、最も福運を積み、成長しきる人であり、子孫末代に大功徳を回向しきっていける人であります。

(中略)

私は、戸田前会長がどうしても広宣流布をしなくてはならないという強い強い決心であられたことはよく知っております。しかし敵は多勢、味方は無勢でありました。

敵はあらゆる権力と財力と陰謀を持って、創価学会にかかってまいりました。学会は信心という二字で戦ってきた。あまりにも純粋であり、あまりにも清浄な戦いでありました。

創価学会の力によって、日蓮正宗もこれだけ栄え、創価学会の力によって、日蓮大聖人の御遺命がやっと実現されてきた。

今日の発展の大原動力となって戦われたのが戸田前会長であります。戸田前会長がおられたがゆえに、また牧口初代会長がおられたがゆえに、私どもが幸せな生活をし、社会的にも、人生にあっても、どれほどか誇り高く、裕福に、堂々と進んでいるか。

その恩を報ずるために、創価学会の同志は、よく団結して前進し、多くの民衆に“学会は凄い、真に民衆をすくい、社会を救う力ある平和の団体である”といわせることが、遠くは日蓮大聖人、また近くは牧口初代会長、戸田前会長が、最も喜んでくださる道であるがゆえに、私は戦うのであります。

(中略)

ほんとうに大聖人の仏法を、御本尊を受持して、一生を全うしたい人は戦いきってください。戸田前会長のおかげで、創価学会の今日があり、その恩を奉ずるところに学会精神の真髄があることを自覚して、ともに学会っ子として、人生を生ききろうという人は戦っていただきたい。

(中略)

江戸時代、島原の乱において、原城を守った天草四郎をはじめ三万八千人の同志は板倉候等の幕府軍二十万四千余人の攻撃に負けず、莞爾として守りきった。

最後は松平候の策略等によって滅ぼされたけれども、寛永十四年十月から翌年の二月までの五ヶ月間、それは命をかけるどころの騒ぎではなく、もう死ぬのはわかっている戦いでありました。全滅することがわかっていながら、天草 四郎のもとに結集した信者は三万八千二位で、その中には子供も、女の人も、老人もいました。

しかし、その中で同志を裏切ったのは山田右衛門作という壮年ただ一人であったことが、今でもキリスト教徒の最高の誇りになっているのであります。

外道であっても、これだけ純粋な同志の団結をもって、立派に生涯を飾っております。いわんや、われわれは独一本門の同志であります。

幸福になり、偉くなり、人々から尊敬されながら、それでなおかつ裏切るような者があったならば、無間地獄に堕ちるのはあたりまえではないでしょうか。島原の乱の時に、三万八千人の中で裏切り者はただ一人。

わが学会壮年部は一生涯、ただの一人も裏切り者も出さないという団結で進んでいくべきであると思います。

(中略)

私はまだまだ若い会長であります。未熟であり、欠点もあります。戸田前会長や牧口初代会長の遺訓を達成するために、会長になり、立ち上がったのです。あとはなにもない。

これが師弟の道であり、同志の契りです。外道であっても、またどこの団体であっても、本当に人間らしい生き方をした、契りを結んだ師弟とか同志は、そういう姿を示しております。

まして、最高の仏法に生きる私どもは、絶対に戸田前会長のご遺志を実現するのだという決意で進んでまいろうではありませんか。

したがって、皆さん方はまず御本尊を一生涯忘れず、学会を守りきって、日々、月々、年々に成長していただきたい。

たとえ半身不随になろうが、どのような立場になろうが、その一念をもった人が立派であり、霊鷲山会において大聖人にお目通りにかない、おほめの言葉をいただける人です。

だからといって、戦いに無理があってはなりません。体は大事にしてください。皆さん方がうんと長生きして、事故なく、そして福運をつんで、人生最高の総仕上げをしていただきたいということを、朝な夕な私は御本尊に祈っております。

次は青年部、学生部、高等部、中等部、少年部が待っております。その人たちに、個人においても、学会においても、立派にバトンタッチをして、後は彼らが、伸びのびと、それこそ口笛を吹きながら、大手を振って勝ち戦の前進ができるようにしてあげようではありませんか。

事の一念三千の当体であり、因果具時ですから、御本尊にこの決意で、異体同心の信心をもって祈っていくならば、必ず目的を成就していくことができます。

今まで私が申し上げたことを、どうか忘れることなく、一緒に元気で頑張りましょう。

(おわり)