投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 5月 2日(土)01時44分25秒     通報

悪との闘争において、押さえておきたいワードは「批判」と「中傷」の違いです。悪を責めることは、悪を批判することになります。悪を中傷することではありません。では、この違いを明確にしたいと思います。

批判:物事の真偽や善悪を根拠にして、厳しい意見を言う事
中傷:事実でない悪口を言いふらして、他人の評判や功績を傷つける事

キーワードは「根拠があるかないか」であり、根拠があった上での厳しい意見を述べることは、健全であり必要なことであります。これを否定してしまったら、誰も何も言えなくなり、いいなりであれということになります。個人も組織も正しい批判があれば成長、発展していく原動力となる。忠言や諫言も、根拠があるので批判というカテゴリーに属します。「念仏は無間地獄だ」と根拠もなく言うのは、真実であっても中傷として判断されてしまうが、経文という根拠を通して主張すれば、健全な批判となる。

中傷というのは、根拠があるわけでもなく、憶測で相手を決めつけ、悪口することです。これは只の感情であり、悪との戦いにおいては、中傷にならないように注意が必要です。あくまでも相手の罪を責めるのであって、人格を否定したりするのは厳禁です。罪を憎んで人を憎まずという言葉があるように、責めるべきは人格ではなく言動ということになります。これをごちゃまぜにして、悪人なんだから何を言っても構わないという様になってしまったら、ミイラ取りがミイラ状態となり、残念なことになります。あくまでも紳士淑女の振る舞いが根本であり、そうでなければ足元を掬われてしまう。

批判される側においては、まずはその批判に根拠があるかどうかを考える必要があります。根拠があるのであれば、それを意見として真摯に耳を傾けることが重要です。いつの世にも忠言は耳に逆らいますので、健全な批判に対してどれだけ耳を傾けることができるかがその人の器であり、力量です。一番やってはいけないのは、批判と中傷をごっちゃに考え、全部シャットアウトしてしまうことです。これでは良くなるものも良くならない。

悪との戦いは、正しい情報(根拠)に基づき、悪を批判することです。傲慢な幹部や師敵対の幹部を責めるということは、「傲慢」と「師敵対」の部分を批判することであります。憶測ではなく、根拠に基づいた批判でなければなりません。組織においての批判は、組織そのものではなく、組織悪の部分を批判することが大事になります。批判と中傷を混合してしまうと、悪と戦えなくなります。

常に根拠というものを考え、冷静沈着でなければなりません。感情を逆なでし、混乱させるのが悪の常套手段というものでしょう。悪を許せない気持ちが先行(過度に感情的)しすぎると、悪の思うつぼとなり、敗北します。獅子のリズムは前三後一であり、三歩進んで一歩下がる冷静さが求められます。静かに怒るという表現が適切かなと思います。

批判と中傷は紙一重であり、批判していたつもりが、ただの中傷になってしまう場合もあります。逆に、健全な批判が悪口に見える場合もあります。だからこそ批判と中傷の違いを理解しておく必要があるのです。一人ひとりが賢くなることが大事なのは、まさにこのためなのです。全身全霊を尽くさなければ悪に勝つことはできない。簡単な戦いではないが故に、冷静に判断し、見極めてまいりたい。