投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 4月29日(水)20時29分38秒     通報

一凶とは何か。それは、自分自身の「悪を容認する心」であると、私は考えます。その根底にあるのは元品の無明であり、第六天の魔王も自分の生命の中に厳然と存在する。他人を自分の思うように操りたいという他化自在天こそが悪の正体であり、それが人間の弱さでもあります。一念三千であるが故に、例外なく、誰もが悪の存在となり得るわけです。私自身も、己心の悪の存在を感じていますし、俗にいう「他人の不幸は蜜の味」という感情も持ち合わせております。

御書に「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(p762)とあるように、悪を滅することと、功徳が生じることは、密接な関係があります。自身の悪を容認する心と戦い、断ち切っていくことこそが、真の功徳を湧現させるポイントでもあります。そもそも、悪を容認する仏など聞いたことがありません。問うべきことは、自身の悪に対する姿勢であり、祈りであります。

もしも牧口先生が、神札(悪)を容認していたら一体どうなっていたか。もちろん逮捕されることもなければ、亡くなることもなかったでしょう。そして創価学会も壊滅的な打撃を受けずにやり過ごすことが出来たのではないか。しかし、牧口先生、戸田先生は、それを断固拒否し、悪と戦う道を選びました。その結果、牧口先生は獄死し、戸田先生は身体はボロボロになり、借金だらけで、おまけに創価学会も壊滅状態になりました。もしも、組織の維持を第一義に考えたとしたら、一時的にも神札を容認することが賢い選択だったでしょう。だが、それをしなかったからこそ、今日の創価学会の大発展があるわけです。

日蓮大聖人自身も、悪との闘争をされましたが、もしも教団の維持を第一義に考えていたら、あれほどの戦いはされなかったのではないか。1000人中999人が退転するような激しい戦いが繰り広げられ、門下の中でも「大聖人は強く折伏しすぎである。もっと柔らかく法を説けばいいのに」と批判の声まで出ました。

一方、昭和54年はどうであったか。最高幹部は悪と戦うよりも、教団を守ることを第一義とした。悪を容認し、師を見殺しにした。だからこそ、裏切りの歴史が刻まれたわけです。この時点で創価学会の正義は死んだわけですが、先生自らが悪との闘争を開始されたからこそ、宗門に毒されない学会を創ることができたのです。これをもって知るべし。悪との闘争こそが日蓮仏法の要であり、第一義とすべきものであると。根底の一念が、「悪を許さない」なのか。それとも「悪を容認」なのか。己心の悪と戦い続けてこそ仏なのであります。

己心のみならず、社会には悪が溢れています。それが娑婆世界であり、その世界を仏国土に変革する戦いこそが、広宣流布の戦いといえましょう。悪と戦うことを意識し、己心の悪を断ち切る祈りを日々おこなっていくことが大事になります。それがないと、いざという時に悪に飲み込まれてしまいます。それどころか、悪を見破ることすら困難でしょう。54年当時は、何が悪かもわからないような状態になっていたのではないかと思われます。

悪と戦う心こそが、日蓮大聖人の精神であり、学会精神である。その心があるからこそ、学会は仏意仏勅を名乗ることができるわけです。その淵源は、牧口先生の殉教の戦いにあります。悪を容認しないという断固たる決意と実践の功徳によって、今がある。それが学会の原点であり、受け継ぐべき心であると思うのです。同時に、悪と戦う厳しさもひしひしと感じます。まさに登竜門の滝を登るがごとしであり、信心の真骨頂と言えましょう。そしてその道を行くも行かないも、まったくの自由である。