投稿者:だいせーどー  投稿日:2015年 2月24日(火)08時25分37秒    通報 編集済
■巧妙に結託、師匠である池田先生を追放した最高幹部、54年問題総括の場
「悪は暴かねばならない。
断固たる怒りをもって、徹底して追い詰め、打ち砕かねばならない。
悪を容認すれば、さらに多くの人びとが苦悩の辛酸をなめなければならないか
らだ。中途半端な戦いでは、邪悪をますます増長させていくだけである。」

「瞋恚は善悪に通ずる者なり」とは御聖訓の一節。大悪と戦う正義の怒りは、
大善を生むことになる。極悪と戦えば、極善になる。
善人の勝利、善の繁栄こそが、邪悪への最大の復讐となるのである。」
単なる意見交換や活動報告ではないのがこの掲示板。

だから、猛者があるまってくる。学会の掲示板でもこれだけ盛り上がるのは他にないだろう。

極悪となった一部の最高幹部の悪をあばき、破邪顕正していく。

これがこの掲示板にしかできない場だからだ。

だから、本部が恐れる。

 

公明党が権力に迎合しておかしいのも

体である学会が曲がっているからではないか。

「体曲がれば影ななめなり」のとおりだ

 

先生の弟子として、先生の最晩年に

先生の正義を宣揚していく。

誰か言われていたが、「本物の弟子がいない」

それは、自分への反省としていくべきだ。

 

教学部レポートや遠藤文書も闇に葬られていれば、最高幹部の一部がどれだけ信心がないか

それを末端の学会員が知ることはなかったのではないか。

情報は力である。上に従うのは信者

本物の信仰者は違う。

本部がほしいのは信者、だからこの掲示板の猛者は異端に映るかもしれない。

しかし、どちらが正しいのだろうか。

 

長いものに巻かれろ。これと闘ってきたのが三大会長ではないか。

戸田先生の時代の政治への進出の意味も

池田先生の公明党結党も

その意味は学会を守るとかの単純なことではないと思う。
権力に弱い、日本の風土を変えていく。そのための政治権力との闘いだったのではないか。

政策実現のため、与党になることは否定しない。

しかし、それは手段だ。

大事なのは精神だ。

三代会長の精神

いまの党にはこれがないように感じないだろうか。
学会の幹部とて同じだ。

現場は懸命に頑張っている。おかしいのは中央や地方の上だと思う。

一番ダメなのが最高幹部ではないのか。

 

なぜか?
そこを様々な角度からあぶりださないといけないと思う。

今日も愉快にやっていきましょう。