投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 2月20日(金)18時02分6秒    通報
各部代表者会議 (2004.10.28)

「われ一人正義の旗持つ也」

最初に、皆さまとともに、お題目を唱えたい。
甚大な被害をもたらした新潟県中越地震(十月二十三日発生)の被災者の皆さま方に、あらためてお見舞い申し上げるとともに、今回の地震で亡くなられた方々のご冥福を心からど祈念したい。
また、新潟をはじめ各地の被災地の皆さま方のご健康、ご無事、そして一日も早い復興を、皆でご祈念したい。
さらにまた、全同志の皆さまの一家一族の健康と長寿、創価学会の大発展と明年の大勝利を祈ってまいりたい。(=名誉会長の導師で、参加者全員で題目を唱えた)

きょうは、親子の対話のように、気楽にやりましょう。皆さん、自由にリラックスして聞いていただきたい。
創価学会は広宣流布のための組織である。
学会の組織のなかで、広宣流布のために戦い、苦労した功徳は、絶大である。
たとえば、広布の拠点を提供してくださっている方は、また、そのご家族は、生々世々、宮殿のような家に住む境涯になれる。おとぎ話のようではあるが、すべてが真実である。仏法の因果は絶対なのである。広布のリーダーである皆さん方は、この仏法の「永遠の勝利の軌道」を、悔いなく堂々と生きぬいていただきたい。

私がが、かつてしるした「正義」の揮毫について述べたい。
(=その場で墨痕鮮やかな「正義」の書が紹介された)

「正義」――この文字は、あの嵐の昭和五十四年(一九七九年)、第三代会長を勇退した直後の五月五日、神奈川文化会館でしたためたものである。
その二日前の五月三日、創価大学の体育館で本部総会が行われた。それが実質的な″会長辞任の総会″となったのである。
その陰には、嫉妬の宗門と結託した醜い反逆者たちのさまざまな陰謀があった。
しかし、どんな立場になろうとも、私は変わらない。正義は、どとまでいっても正義である。
世界の広宣流布を成し遂げていくのだ! 愛する同志のために戦いぬくのだ!
こう深く心に期した私は、総会の終了後、学会本部には戻らず、神奈川文化会館へ向かった。横浜の港から、洋々たる海を見ながら、世界広布の新たな指揮を執り始めたのである。
その神奈川文化会館で五月五日に書きしるしたのが、この「正義」の二文字であった。
脇書には、「われ一人正義の旗持つ也」とつづったのである。
反逆した人間の末路は無残

恩師の戸田先生は「第三代会長を守れ! そうすれば、創価学会は盤石であり、広宣流布は必ずできる!」と遺言された。この厳命に背いた人間たちもいた。
そして、勇退から二十五年を経た今、反逆の輩は無残な末路を迎え、宗門は衰退の一途をたどっていることは、皆さんがご承知のとおりである。
私は勝った。正義の学会は、厳然と勝ったのである。(拍手)
全国の同志の皆さま方も、今日まで本当にまじめに、誠実に頑張ってくださった。
とくに私は、あまり日のあたらない、目立たないところで、広布のために、粘り強く努力してくださっている方々を心から誉め讃えたい。最大に賞讃の光をあてて差し上げたいのである。
こうした、懸命に陰で戦ってくださる方々のおかげで、学会は″日本一の教団″になったのである。″世界的な学会″になったのである。本当にありがとう!(拍手)
広宣流布を現実に前進させているのは、会員である。無冠の同志である。役職が高いから偉いわけではない。役職は言うなれば″仮の姿″にすぎない。大事なのは″さあ戦おう!″という本因の一念があるかどうかだ。この深き決意に立った同志たちが、なかんずく青年たちが、新しい勝利の歴史をつくったのである。それを絶対に忘れてはならない。
ともあれ、皆さんも地元に帰ったら、地域の同志の方々に、「いつも、ありがとうございます!」「いつまでもお元気で!」「ご健康を祈っています!」等と大いなる讃嘆と励ましを贈っていただきたい。
すべては後継者で決まる

きょうは大事な会合でもあり、日興上人の「原殿御返事」を拝しておきたい。
「原殿御返事」は、日興上人が、身延離山の前年に、原殿に与えられた書状である。これには、日興上人が身延離山を決意された事情と心境がくわしくしるされている。
御手紙を受け取った原殿は、邪師にたぶらかされた波木井実長の一族でありながら、正しい信心を持った人物とされる。明確ではないが、実長の子息のだれかをさしていると推測される。
日興上人は、この後継の信徒に、大切な手紙を送ったのである。

すべては、後継者で決まる。青年が育っかどうかにかかっている。
ゆえに、青年を下に見て、自分は組織の上にあぐらをかき、大変なことは全部、青年にやらせる。そんな幹部がいれば、とんでもないことだ。いちばん大切なのは、青年なのである。
日蓮大聖人に、お仕えした日興上人もまた青年であった。
日興上人は、数え十三歳の時に、大聖人の弟子となり、伊豆流罪、佐渡流罪にお供し、大聖人が御入滅になられるまで常随給仕されたのである。日興上人は、原殿に、こう語られる。
「大聖人のお弟子(五老僧等)は、ことごとく師敵対してしまった。日興一人、本師(大聖人)の正義を守って、(広宣流布の)本懐を遂げるべき人であると自覚している。ゆえに、大聖人の御本意を忘れることはない」(編年体御書一七三三ページ、通解)

大聖人は、御自身の一切を日興上人に付嘱された。そして日興上人、ただお一人が、大聖人の「正義」を守りぬかれたのである。
反対に、五老僧は、師匠である大聖人に背いていった。権力の迫害を恐れた臆病のゆえであり、日興上人への嫉妬のゆえであった。自身の生命に巣くう名誉欲や慢心のゆえであった。
五老僧――言うなれば大聖人門下の最高幹部である。この最高幹部が大聖人の御精神にことごとく違背し、「師敵対」したのである。
先ほども申し上げたが、学会を裏切り、師敵対し、同志を裏切っていった人間たちも、やはり最高幹部であった。これが重大なる
歴史の教訓である。

日興上人は青年を育てた。御自身の持てるものすべてを、青年にそそいでいかれた。
青年を大事にする指導者こそ本物である。広布のリーダーは「後輩を一人も脱落させてはいけない」「全員を広布の人材に育てよう」と祈りに祈り、後輩のために走りぬいていくことだ。そこに、万年に続く「令法久住」の方程式がある。
青年こそ宝! いちばん大切なのは青年!

ともあれ、次の五十年へ、青年にすべてを託す以外にない。
そのためには、諸君全員が、創価学会の「会長」であり、「責任者」であり、「大指導者」であるとの自覚で、全責任を担い立っていただきたい。
中国の周恩来総理もまた、青年をこよなく愛した指導者であった。そして青年から″人民の父″と慕われた指導者であった。
戦後に誕生した新中国が、あれほどの荒廃と混乱のなかで、数億の人民を抱えながら、見事に国土の再建を果たしていったのも、一つは青年を大切にしたからである。
国家の指導者が率先して、青年を励まし、ともに未来を語り、たがいに尊敬しあいながら、若き心を啓発していった。その模範が周総理であった。
そのなかで、「人民の指導者とならん!」と立ち上がった青年たちが、後継のバトンを受け継いで、今日の大発展の中国を築きあげてきたのである。

青年こそ宝!――この急所の一点を、リーダーは深く銘記していただきたい