投稿者:だいせーどー  投稿日:2015年 2月 9日(月)23時58分15秒    通報
皆さま、こんばんは。
下記の内容は教学部レポートから引用です。
t川さんの発言は驚きですね。結論ありき。議論の余地もなく一方的です。

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また聖人御難事の「余は二十七年なり」という大聖人の「出世の本懐」の表明についても、

谷川総長は「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。
独立した教団なんだから、変えてもいいんだし、変えられるんだ。

南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじゃないか」と述べていました。

もちろん御書の解釈はできるにしても、御本尊の「出世の本懐」について生半可な教義理解で軽々しく決められることではありません。

さらに「末法下種の三宝」についても、現在は、公式には仏宝が日蓮大聖人、法宝が三大秘法の大御本尊、僧宝が日興上人になっているのを変更するのかという議論になった際、

谷川総長は「それも変えればいいんだ。何の問題ない」と述べていました。

しかし、「それでは、歴代法主が僧宝であるという宗門に対して、僧宝は日興上人であると反論した学会の論拠が崩れてしまう」と申し上げると、

「それでもいいんだ。宗門とは別の教団なんだから」という返事でした。

「過去との整合性などどうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」と、
谷川総長は何度も繰り返していました。

何でも自分たちで決められるという全能感がにじみ出ていて、
何を言っても取り付く島がありません。支離滅裂な不毛な会議となりました。