投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 1月30日(金)08時37分42秒    通報
第五十一回本部幹部会、アジア総会、沖縄県総会 (1992. 2.27)

日亨上人は、「内からの難」の先例として、日興上人に敵対して門下を分裂させた五老僧や、 天目(天目は大聖人にお会いしたものの、己義を構え、日興上人に破折された僧侶の謗法をあげておられる。

″宗内の悪侶″の動きこそが、広布を妨さまた げる最大の難となることを、日亨上人は 鋭するどく見抜かれていた。そして未来の教訓としなさいと教えられている。

そのご洞察通り、今、 提婆達多 、五老僧のごとく、破仏法の悪侶が出現している。私どもは断じて、彼らに広宣流布の流れを阻ませてはならない。悪は壊滅せねばならない。

日寛上人はこう断言しておられる。

「 我等われらこの本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉たてまつれば、我が身即すなわ ち一念三千の本尊、 蓮祖聖人なり」(観心本尊抄文段)

我々ほど、御本尊を「信受」している者はない。妙法を自行化他にわたって「唱えて」いる者はない。そして、日寛上人は、強信の人の身は、そのまま「一念三千の本尊」であり、「蓮祖聖人」すなわち日蓮大聖人と 顕あらわ れると仰せである。

御本尊の本義を教えられた「観心本尊抄」の文段の結論(総結)のお言葉である。 門家であれば、だれびとといえども絶対に否定できない。

否定することは日寛上人への冒涜であり、師敵対となろう。