投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 1月25日(日)18時37分51秒    通報 編集済

 
長文で失礼いたします。
何も知らない一般会員には、事実に基づいた資料を元にこのように話しています。
この事実だけは、学会本部も言い訳できませんし一般会員も納得します。
しかし、会合では言いません。あくまで一対一の対話になります。
【54年問題(第一次宗門問題)の事実】

■聖教新聞 1999-04-27掲載「随筆 新・人間革命79嵐の4・24断じて忘るな! 学会精神を」より

ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。
「私が辞めれば、事態は収まるんだな」
沈痛な空気が流れた。
やがて、誰かが口を開いた。
「時の流れは逆らえません」

沈黙が凍りついた。
わが胸に、痛みが走った。
――たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。
実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。
また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。
しかし、時流とはなんだ!
問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。
宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。
それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。
情けなく、また、私はあきれ果てた。

戸田会長は、遺言された。
「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と。
この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。
ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!

 

以上より、当時の最高幹部は先生を守ることが出来ない事実が明確になりました。
その最高幹部(哀れな敗北者)の実名は、当時の聖教新聞より確認できます。
■聖教新聞1979-04-25掲載(昭和54年4月25日)「総務会」より
さらに北条新会長は、会則の定めるところに従って、秋谷 栄之助、和泉覚、辻武寿、青木亨、山崎尚見、上田雅一、柳原延行、和田栄一、原田稔を副会長として任命した。
また、会務の執行に関する決定機関である中央会議の議長として秋谷副会長、教義研さんの機関である師範会議の議長として辻副会長、さらに中央会議員五十二人、常任中央会議員十五人の任命が発表され総務会としてもこれを了承した。
最後に北条会長は、池田前会長に名誉会長就任を要請したい旨提案し、全員一致で賛成。
これによって、創価学会は、盤石の体制と重厚な人事、そして新生の息吹をもって、二十一世紀への新たな前進を開始することとなり、記念すべき第一回臨時総務会は、午後四時、閉会した。
(資料添付)

■聖教新聞1979-04-29掲載(昭和54年4月29日)「日達上人猊下にお目通り」より
北条浩新会長をはじめとする新体制なった学会の最高幹部は、二十八日、総本山大石寺に参詣した。
就任後初の登山となるこの日、参詣したのは会長のほか、森田一哉理事長、和泉覚総務会議長、秋谷栄之助中央会議議長、辻武寿師範会議議長、小泉隆参事会議長、青木亨監正審査委員、中西治雄中央審査員長、それに山﨑尚見本部事務総長の各メンバー。
(資料添付)
池田先生を守れなかった哀れな敗北者は【秋谷 栄之助】【原田稔】と確認できます。
更に以下の資料では、当時の最高幹部を先生は「裏切った」「辞任に追い込んだ」と言われています。
■54年問題の事実より
「あれは勇退ではない。辞任だ。お前たちに勇退にさせられたんだ、お前たちが辞任に追い込んだんだ。今、真実を語っておかなければ、真実を知っているものがいなくなってしまう。
弟子が師匠を裏切った。闇へ葬り去ろうとした。お前たちが隠したんだ。お前たちがそうしたんだ。戸田先生は第三代を一生護れと言われた。お前たちも聞いただろ!どうするんだ!」

http://6027.teacup.com/situation/bbs/15185
http://6027.teacup.com/situation/bbs/15186
http://6027.teacup.com/situation/bbs/15187
http://6027.teacup.com/situation/bbs/15188
現【秋谷議長】【原田会長】は師敵対の裏切り者で、最高幹部として適任者ではありません。
少なくとも、54年当時に先生を守ることが出来なかった最高幹部です。
この2名を最高幹部としておいて良いのだろうか?

 

【矢野絢也との裁判の事実】

元公明党委員長の矢野絢也は狂ったように池田先生を批判中傷しました。
矢野の書いた暴露本や週刊誌のコラムを読めば会員ならだれでも矢野が仏敵と認識できます。
ゆえに矢野絢也は忘恩の反逆者、仏敵です。
■裁判前の谷川副会長のコメントより
谷川副会長は、こう語っている。「もとより『週刊新潮』の記事は、事実無根の悪質な捏造記事である。矢野の本性を、法廷の場で白日の下に明らかにし、厳然たる決着をつけてまいりたい」
しかし、最終的に谷川副会長は矢野に裁判で負けました。
2012年2月10日に学会は裁判所の指示に従い仏敵矢野との和解を選択。
法務最高責任者は八尋顧問弁護士です。
なぜ先生の敵と和解したのか、それが弟子のすることなのか、自分には理解も納得もできません!
■矢野裁判和解関連ニュース
http://www.j-cast.com/2012/02/20122779.html?p=all
http://www.accessjournal.jp/modules/weblog/index.php?user_id=0&cat_id=101

仏敵と和解する【谷川事務総長(副会長)】【八尋顧問弁護士】は幹部として適任ではありません。
この2名も最高幹部としておいて良いのだろうか?
以上の事実は誰も否定できません。
また、どの一般会員でも確認できる事実ですし情報確認もしやすいです。
更に【秋谷議長】【原田会長】【谷川事務総長】【八尋弁護士】は教学部レポートに出てくる人物です。
怪文書とされていた教学部レポートが、11月8日の会則改定発表により実現した事実は否定できません。