投稿者:田舎丼   投稿日:2015年 1月 1日(木)17時34分41秒     通報

新年おめでとうございます。
2度目の投稿になります。
lupin iii様「国家主義の危険な方向性を憂慮」への補足です(以下引用):

日本は狂気の国家主義によって、戦争を始めた。国民の自由はなくなり、学会にも弾圧の魔の手が強まってきた。
…今また、日本は国家主義の道を歩もうとしている。私は、その傾斜を深く憂慮している。
(第十三回本部幹部会・平成9年7月9日)

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(対話者): 牧口先生、戸田先生は、軍国主義の時代に、絶対に「付和雷同」しなかった。自分が「正しい」と信じる平和と自由の道を進むよう、敢然と主張し、権力と戦われました。 すごい勇気です。
名誉会長: しかし、その当時は「非国民」と罵られ、牢獄でいじめられ、戦争に反対なので「臆病者」と軽蔑された。 狂った時代です。 今の日本も、そういう狂いの方向に向かっていることを私は心配するのです。
(『青春対話』普及版2・p.130~131)

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今、再び国家主義、権力主義が強まっていると多くの人が警告している。半世紀前の大悲劇を皆が忘れかけている。だから平和を叫びきっている創価学会が大事なのです。 (『青春対話』普及版Ⅰ・p.386)

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若い諸君には、過去の戦争への責任はない。 しかし、未来への責任はある。 現在への責任もある。平和を壊す危険を動きを認めてしまえば、その責任はある。
(『青春対話・普及版2』p.283)

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戦後世代には、あの戦争を起こした責任はない。 しかし、現在、起こっている、戦争につながる国粋的な動きや偏狭な思想には反対する責任がある。 反対せず、行動せず、沈黙する事は、消極的な支持である。
(池田大作『君が世界を変えていく』・朝日出版社・p.200~202)

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国家主義というのは、一種の「宗教」なのです。…
「国」というものが最高に尊厳であって、国のためなら民衆の命を犠牲にしてもかまわない ――― 「国」を“神様”にした宗教が「国家主義」です。
このことは、トインビー博士も言われていた。近代の国家主義は、信じるものがなくなった心の空白に、古代の「集団力への崇拝」が復活してきたものだ、と。
しかし、絶対に国家主義は誤れる宗教です。「国のために人間がいる」のではない。「人間のために、人間が国をつくった」のです。
これを逆さまにした“転倒の宗教”が国家信仰です。
牧口先生、戸田先生は、「国家」の上に「人間の道」を置いていた。
国は大事かもしれないが人類共通の「人道」はもっと大事だ。
日本も大切だが、「人類全体」はもっと大切なんだ、と。

だから、人殺しなど「人道」に背いた場合、自分の国であっても、「悪いものは悪い」と言っていくべきなのです。
(『青春対話』普及版2・p.277~)

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一般的にいって、戦争とは国家が犯す最も非道な犯罪行為であるといってよいのです。しかるに、こうした犯罪行為がなぜ許され、むしろその多くは、人々の熱狂的な支持すら得てきたか。それは“最も尊厳なるものは国家である”との、誤れる神話が人々の思考を支配してきたからであります。そして、一切の物質的富も、人間の生命も、文明の所産も、この“国家の尊厳”の横暴の前には、犠牲になってあたりまえである、と考えられてきたのであります。…国家の尊厳という誤れる神話を打ち破り、生命尊厳の理念が、現実に支配する世界を実現することこそ、仏法者のなさなければならない使命であると同時に、私どもがその先駆をきらねばならないと訴えておきたいのであります。
(第35回、37回本部総会講演より
池田大作・『ヒューマニティーの世紀へ』読売新聞社・p.25 – 26)

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私どもが半世紀以上にわたって核兵器の問題に取り組んできたのは、核兵器…の禁止と廃絶を実現させる中で、“国家として必要ならば、大多数の人命や地球の生態系を犠牲にすることも厭わない”との非道な思想の根を絶つことにあります。
(38回「SGIの日」記念提言・2013年)

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歴史は繰り返す。 今また日本は国家主義の危険な方向に向かいつつある。だからこそ、平和主義、国際主義の私と創価学会を迫害するのである。戦いましょう! 「断じて悲劇を繰り返さない」ために。悠々と楽しく戦いましょう!
(第11回本部幹部会等_池田大作全集88巻・p.40~41)

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日本も同じです。人権感覚がますます狂ってきている。 民衆を国家の犠牲にして恥じない国家主義が強まっている。危険です。だから我々が立ち上がる以外にない。      (『法華経の智慧』6巻 P.165)

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名誉会長: だから「信念をもった個人」をつくる必要があるのです。国家主義の危険が高いからこそ、今、戦わなければならない。
斉藤: 創価学会が、そういう「人権の防波堤」になっているがゆえに、国家主義的勢力から攻撃されています。
名誉会長: 敢然と「獅子王の心」「獅子奮迅」の力を出すための法華経です。「師子奮迅之力」(涌出品、法華経) を出すのが地涌の菩薩であり、仏です。邪悪に対しては、それこそ阿修羅のように戦わなければならない。 仏法は勝負であり、勝つ以外にない。
(『法華経の智慧』 4巻 p.173)

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国家主義という転倒の思想によって、何百万、何千万という尊き、かけがえのない命が散らされた。
その暴虐を「やめろ!」と叫んだのが牧口先生、戸田先生です。
それは最高の愛国者の行動であった。
そして「人間宗」というべき法華経への殉教であった。
国家のためではなく、人間のために命を捨てたのです。
この歴史を、両眼をしっかと開いて見つめなければならない。
そして今こそ、新たな国家主義、権力主義の動きに対して、立ち上がるべきです。
(『法華経の智慧』5巻 p.150~151)