投稿者:河内平野  投稿日:2014年12月15日(月)08時57分50秒    通報
かつて戸田先生の時代、私たち青年部は、「全員が戸田城聖たれ!」と叫んで戦った。
全員が会長であり、全員が大将軍であり、全員が広布の総責任者──その自覚で大前進していっていただきたい。

いかなる悪も、見逃してはならない。
私は青年時代、学会や戸田先生を悪く言う者がいれば、即座に飛んでいって、厳重に抗議した。

栃木など、遠くにも、どんどん足を運び、無理解や偏見を厳然と正していった。
何も恐れなかった。一人、敵陣に乗り込んだ。
相手が非を認め、謝罪するまでは、一歩も引かなかった。

そんな私に、戸田先生は一言、「ありがとう」とおっしゃった。それだけで十分だった。
「師のために」「同志のために」──この一念で私は戦い抜いてきた。

ドイツの哲学者カントは叫んだ。
「高慢は厭わしくまた愚かしいものである」
「わがままは愚か者の特性である」(ともに御子柴善之訳「コリンズ道徳哲学」、『カント全集20』所収、岩波書店)

学会のおかげで偉くなりながら、学会を小バカにし、
まじめな学会員を見下す愚かな人間は、断じて許してはならない。

そして油断や慢心、堕落やエゴといった「内なる悪」を、厳しく戒めていくことだ。

カントは、こうも述べている。
「高慢な者が他人から尊敬されようとあせればあせる程、却って誰でも彼に尊敬を拒否する」

傲慢な人間は、必ず見抜かれ、ついには、だれからも相手にされなくなる。
本当に哀れだ。いわんや、仏法の因果は峻厳である。

どこまでも皆を大切にし、悪に対しては、決然と正義の声を上げる。

これが指導者の鉄則である。

戸田先生は、悪に対して、「絶対に頭を下げるな」「断じて打ち倒せ」と厳しかった。
卑劣な人間を震え上がらせる、勢いと強さがあった。

悪い人間を、絶対に見過ごしてはいけない。
だれからも、何も言われなければ、悪はますます増長する。

若き諸君は、「善の大連帯」「正義の大連帯」を広げ、学会を厳然と守り抜いていただきたい。

皆、立派なリーダーに育つてもらいたい。

頼むよ!

【全国各部協議会 二〇〇八(平成二十)年二月二十六日】