投稿者:河内平野  投稿日:2014年12月11日(木)14時45分27秒    通報
私どもは決して、「民衆の幸福」という根本目的を忘れてはならない。
ここに仏法の本意がある。

しかし、既成仏教も含め、多くの宗教は、この本来の目的への真摯な努力を放棄し、
財産を蓄えながら、かえって宗教的権威のもとに「民衆」を奴隷化しようとする傾向がある。

この本末転倒を正し、真の「民衆のための宗教」の時代を築きゆく「宗教革命」
――これが、七百年前、日蓮大聖人が敢然と始められた「広宣流布」の戦いであると拝される。
そして、ここにわが創価学会の誉れの使命がある。

日蓮大聖人は、「観心の本尊」と仰せである。
その深義をふまえたうえで、平易にいえば、「信心」こそが「観心」となる。
一切衆生が「信心」によって成仏できることを、御本仏がお約束くださった本尊なのである。

ゆえに大切なのは「心」である。
大聖人は「此こ御本尊も只信心の二字にをさまれり」(御書一二四四頁)
――この御本尊も、ただ「信心」の二字に収まっている――と明言されている。

また「ただ心こそ大切なれ」(御書一一九二頁)、
「心こそ大切に候へ」(御書一三一六頁)と教えてくださっている。

広宣流布をめざす「一心」、人々の幸福を祈り、動く「一念」、ともに仏子を守り、
栄えさせていこうという団結の「心」――そうした「信心」によってこそ、
御本尊の偉大な功力があらわれるのである。

どんな高性能の車でも運転する人の「心」が狂っていれば、事故を起してしまうであろう。
また走らせる力がなければ、何の価値も生まない。

ともあれ、人が目的地に着くための車である。車のために人間がいるわけではない。

次元は異なるが、宗教もまた人間のためにある。民衆のためにある。
これこそ大聖人が繰り返し、また身をもって教えられた「宗教革命」の精神である。

私どもは、この精神で、どこまでも民衆とともに、民衆のために、民衆の最大の味方として進んでいきたい。

また一次元からいえば、広布の戦いは、正法を掲げての言論戦、《言葉の戦い》である。
納得と共感を広げゆく戦いである。私どもにとっては、《口は最大の武器》である。
しかも、どんなにしゃべってもタダである。

リーダーは「明快に」語らねばならない。「あいまい」は皆の心を曇らせる。
一時的にうまくとりつくろおうとするような「策」は、信頼の絆をみずから断ち切ってしまう。
皆の心を、すっきりと、晴ればれと、明るくさせていくためにリーダーがいることを、あらためて強調しておきたい。

【「長野県婦人部の日」記念研修会 平成三年七月二十六日(全集七十七巻)】