投稿者:砂糖ピロシ  投稿日:2014年12月 9日(火)21時09分44秒    通報
平成17年3月21日

新潮社
G藤裕二様

謹啓
この度は、お手数をおかけして恐縮です。何卒、宜しくお願い致します。
この論考は、清貧で宗教的妥協を許さない孤高の宗教者といったこれまでの日蓮のイメージを一新するものなので、私の立場で、しかも本名で発表できる代物ではとてもありません。公にするときには、ペンネームや、○○研究会編など、何か工夫しなければ、と思っています。
また、メールにも書きましたが、古希論文集に発表する予定だったものなので、堅くて、読みづらいと思います。一般向けには、もっと平易に、分かりやすくしたいと思います。
たとえば、日蓮の遺品に馬が6頭あるのですが、これも論文では、サラッと触れたに過ぎません。しかし、当時の社会で馬を持てるというのは、実は大変なことだったのです。人が餓死しても、葬送することもできず、鎌倉の町中のそこここに捨てられていて、幕府が「市中に死体を遺棄してはいけない」と立て札を出した時代です。馬を持つというのは、馬が食べる食糧を用意でき、馬の世話をする馬飼いを雇うことができ、馬舎の用意があったことを意味しますので、今の時代でいえば、自家用機とか自家用クルーザーとか、運転手付きの最高級ベンツを持っているようなものです。しかも、それが6頭ですから、日蓮には大変な財力があったことが伺えます。
この一事をもっても、日蓮がとても庶民の代表と呼べる身分でなかったことは明らかですが、今回の論文では、このように平易なかたちでの説明はしていません。左ページの注も、本文に組み入れた方がいいのかなど、どのようにしたら、一般向けになるかは、まさに編集の方にアドバイスを頂戴したいところなのです。
何よりも、この論考のおもしろさは、創価学会を含む日蓮系教団が、なぜ執拗に政治に関わろうとするのか、その原点、DNAが、実は日蓮自身の中にあったことを発見できる点だと思っています。日蓮は世俗の権力と出世の権威を、ともに手に入れることを望んだ人物でした。そして、そうすることが、正義だと信じて疑わなかった人でした。そんな日蓮像が立ちのぼってくれれば、嬉しいのですが、どうでしょう。
謹白 O川