投稿者:池袋b  投稿日:2014年12月 3日(水)23時44分30秒    通報 編集済
こんばんは。寒いですね。

さて、様々な論点がありますが、今ある危機の根源について

歴史を俯瞰し紐解けば根源は54年問題であり、その淵源は正本堂建立に始まるのです。

宗門との軋轢は生んだのは戒壇建立であり、そこからヤマトモが出てきた。
世界宗教としての戒壇建立が宗門の旧き体質を生み

日本の田舎の僧侶仏教と世界へ開く民衆仏法の対立がはっきしてきた。

その時に、宗門の権威に屈したのが54年問題であり、三代会長をまもらなかった歴史です。

弟子が師匠を裏切った歴史だった。

池田先生は、本物の後継の人材を育成することで長期的視野に立つ戦略をとった。

そして、ときが来て、表の悪であった矢野を追撃せよとの指令がでた。

矢野追撃がうまくいかなかったのは、実は矢野に情報漏えいをしていた本部内の人物がいたのだ。重川である。

また、裏で悪を仕切ってきた秋谷を罵倒しはじめた。

矢野、秋谷、そして近年の学会をおかしな方向に引っ張ってきたヤモトモの弟子、八尋。

この悪のトライアングルを追撃すべきであった谷川は、会長になりたい一心から

青年部時代から佐藤浩や丹治を手下として、ヤモトモの腹心であった北林と竹岡にくっつき
金をもらってきた。

第二次宗門問題を実質仕切ったのは八尋である。

八尋が頼ったのは北林であった。

秋谷は北林は切りたかった。竹岡も切りたかった。

しかし、自民との連立問題が浮上し、それを利用し会長の座に座り続けた。

それは宗門問題以降に起こった宗教法人法改正問題であり、新進党の失敗が原因だった。
会長交代の機運があったが、秋谷はうまくこの流れを利用し会長の座に座りつづけた。

分党した党をどのようにフォローしていくか困っていた時だったのだ。

この助け船を出したのが、北林、竹岡である。野中をつかった。
北林、竹岡は八尋とは刎頸の友だ。

野中が天敵小沢に接近し謝罪した。

小沢と関係のある秋谷はすぐに飛びついた。

こうして与党となった公明党は、自らの信念を捨てていったのだ。

神崎と八尋は仲がよい。今も同じ弁護士事務所に所属している。

こうして悪はつながり、利害連合ができた。

先生が表に出なくなったタイミングで悪の跳梁がはじまった。

行き着いた先が、会則変更である。狙いは学会の組織と金である。

狙いは教義を変え、聖地信仰、板本尊信仰、そして、SGIを完全に支配し

絶対的権威と権力により、先生亡き後の教団を維持をしようともくろんだ。

ゆえに、何が何でも会憲を行い、大御本尊を否定して、日昇本尊を大御本尊の代わりにしたいのだ。

大誓堂を聖地化すれば、そこにビジネスが生まれるのは必須。

これが、幹部が腐ったなれの果ての姿である。