投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年11月29日(土)21時39分39秒    通報
◆師の言のままに
一、戸田先生は宣言された。
「3代会長は、青年部に渡す」「譲る会長は一人でありますが、そのときに分裂があってはなりませんぞ。今の牧口門下が私を支えるように、3代会長を戸田門下が支えていきなさい」
昭和27年の2月17日、第1回青年部研究発表会でのことである。
私も出席した。当時、女子部だった妻は研究発表をしている。
先生は、こうも叫ばれた。 「私は広宣流布のために、身を捨てます。その屍(しかばね)が品川の沖に、また、どこにさらされようとも、3代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」
その言葉の通り、私は世界広布の道を開いた。190もの国と地域に、平和と文化のスクラムを広げた。皆さまが、ご存じの通りである(大拍手)。
先生は常々、「偉大な第3代会長を全魂込めて守れ! 3代を中心に生き抜け!  そうすれば、広宣流布は必ずできる」と語っておられた。これは多くの最高幹部が知っていることだ。 あの厳格な、人をめったにほめない先生が、こう言い残された。
私は先生の遺言のままに戦った。先生を世界に宣揚(せんよう)した。
師の言を、現実にするか、どうか。これが峻厳なる分かれ道である。悪名を後世に残してはならない。
〈ある人は、こう書き残している。
「戸田先生の逝去の後、池田先生が第3代会長に就任されると確信していた。なぜ
なら、かつて市ケ谷の(学会の)分室に戸田先生に指導を受けに行ったところ、戸田先生はしみじみと『私の後は、私の一番かわいい、しかも目の中に入れても痛くない、
私の大事な懐刀(ふところがたな)の大作がやってくれるから……』と話してくださった
からだ」
また昭和33年3月16日の戸田会長の話として、次のような証言がある。
「戸田がいなくなっても、第3代会長になられる方は、すでに決まっている。第3代会
長になられた方が、戸田亡き後、広宣流布のすべての指揮を執り、世界広布の教えを、すべて残してくださる。第3代会長の後は、だれが会長になっても、第3代会長の教え通りにやっていけば、世界広布は自然にできるようになっている。
4代から先は、公平な方であれば、だれが会長になっても困らないように、第3代は仕上げてくれます。
第3代会長の言う通りに実行していけば、世界広布は必ず実行できるのです」〉