投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月29日(土)09時35分45秒    通報
看護や臨床医療の現場でも、「声による癒し」の力は重視されている。
言葉を惜しまず、あたたかい声で、何でもオープンに語れる雰囲気が、健康をつくっていく。
ある人は端的に「『だんまりナース』に看護はできない」と表現している。

またターミナルケア(死を看とる看護)の現場では、
「おじいちゃん」「おばあちゃん」などと呼ぶだけでなく、
相手の名前をきちんと呼んであげることが大切といわれる。
そのことによって、相手への尊重と敬意を伝えられる場合が多いからである。

ある医師は、一人の人間として患者と対等に接する必要を説き、
《医療の本質は、いばらないということだ》と語っている。

ケア(看護、面倒をみること)は、権威等による「強制」と対極にある行為なのである。
彼は「いばらない」ことの一環として、「説明」である、と。

患者の病状について、医師だけが一方的に知るのではなく、わかりやすく、かみくだいて患者自身に説明する。
それはつまり、《医師がいばらない》ということである――彼はこう述べている。
また、患者さんに、何でも聞いてくださいと、質問を奨励することが大切である、と。

私はつねに「リーダーは、いばってはならない」と申し上げてきた。

「いばらない」とは、謙虚ぶった偽善的な態度のことではない。
どこまでも対等の裸の人間同士として、心を開いて何でも話し合っていくことである。

「わかる」「納得する」ことが信頼を生み、展望と、希望と、知恵を生む。
リーダーは、何ごとも「ていねいに説明する」ことを怠ってはならない。

「言わなくてもわかってくれるだろう」という独りよがりや甘え、
「言わなくても、かまわないだろう」という傲慢や無慈悲、
また何よりそう、ごまかし、裏表があれば、皆の本当の力を引き出すことはできない。

日本についていえば「以心伝心」という伝統があるが、
そうした、あいまいさに甘えられる時代は終わったことを知らねばならない。
国際社会にも通用しない。

大聖人も、たとえ在家の婦人に対してでも、いな、そうであるほど、懇切に、わかりやすく説明――説いて明らかにすることを重ねられた。

【第一回SGI世界青年部幹部会 平成三年七月十日(全集七十七巻)】