投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月28日(金)08時49分40秒    通報
ともあれ、「広宣流布」へ向かって、学会という飛行機は、離陸し、飛行し続けている。
途中で降りるわけにはいかない。
全員が力を合わせて、目的地に着かねばならない。
楽な上昇気流、苦しい下降気流、危険な乱気流もある。《ハイジャック》しようとした悪人もいた。

それらをすべて乗り越えて、安全に皆を運ぶために、リーダーは、ぎりぎりの努力を重ねていかねばならない。
私も、一念に「億劫の辛労」を尽くす思いで戦ってきた。

そのうえで、より安全のためには、「合議」「対話」を、今まで以上に重視することが大切と思う。

パイロットも基本的に正副二人がいるが、たとえば、操縦士一人のミスの確率が百分の一とする。
すると、二人の操縦士がいれば、ミスの確率は理論的には「百分の一」×「百分の一」=「一万分の一」になる。
(記念撮影を二回するのも同じ原理。一回だと千分の一の割合でミスがあるとされる。二回にすると、それが百万分の一となり、ほとんど失敗がない)

いわゆる《船頭》が多すぎてもいけないが、大事なことがらは、複数の代表の検討を経たほうが安全である。
皆の学会である。皆の力と皆の建設的な意見によって、法のため、社会のために、より理想的な飛行を実現していきたい。

ところで、飛行機でいちばん事故が多いのは「離陸」と「着陸」の時である。
離陸の三分間、着陸の八分間を合わせて「危険な十一分」と呼ばれている。
人生でいえば「青少年期」と「総仕上げの時」にあたるといえよう。

なかでも「着陸」の事故がいちばん多い。
接地の場所を、きちんと決められており、そこにピタリと止めねばならないからむずかしいようだ。

人生も、総仕上げが大切である。
どんなにこれまで完璧でも、着陸に失敗すれば悲劇である。
なんにもならない。
せっかく重ねてきた仏道修行も、最後に退いてしまったならば、一切が無意味である。火炎の苦しみのごとき境涯となってしまう。

最後が大事である。
「広宣流布」と「一生成仏」の目的地まで、慎重に、油断なく、最後までみずみずしい「求道心」をもって進んでいただきたい。

 

【日米記念合同研修会 平成三年八月七日(大作全集七十八巻)】