投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月23日(日)09時50分40秒    通報
その心境は、中国の司馬遷と比すべきものかもしれない。
友を弁護したため、宮刑(腐刑)という死よりも残酷な目にあい、
生き恥をさらしながら、なぜ司馬遷は『史記』を書き続けたのか――。

それは、仁徳ある義人は苦しみ、極悪非道の人間が栄える。
その理不尽さに我慢ならなかったからである。

「天道、是か非か」。この大問題の追究のために、彼は徹底して「事実」を記した。
「世界」のことごとくを書きつくす。
そのことによって、何が「正」か、何が「悪(邪)」か、歴史の中に浮き彫りにしようとした。
『史記』の躍動する文章のリズム、それは司馬遷の悲憤から発する魂の鼓動である。

『神曲』の激しさ、美しさも、ダンテの同様の悲憤に発する。
――怒らねばならない。
悪に対して、本気で怒らぬ者は、すでに正義の心を失っている。
とくに青年が、悪への憤激を失ったならば、もはや社会の改善への希望はない。
自己の魂の向上もない。怒らねばならない。語らねばならない。

ダンテは願った。
「この世に生きる者を悲惨から救い出し至福に至らしめん」。

そのためには、多くの人が読めるように、当時の知識人の言葉であったラテン語ではなく、
庶民の日常の言葉(イタリア語<当時のトスカナ語>)で書かねばならなかった。

大聖人が「漢文」主流の風潮に対して「かなまじり」で書かれた精神にも通じよう。
そして、目に浮かぶようなリアルな表現に工夫を凝らした。
口ずさみやすいリズムにも意をそそいだ。
そして「永遠」という次元から見れば、「今世」の地位や肩書など幻にすぎず、
ただ、本人の生命の実相、心の中身によって、しかるべき報いがあることを示した。

そのために『神曲』の中で、ローマ法王をも地獄におとし、敵味方を問わず、
公正にその本質に応じて《居場所》を決めた。
なかには、書いている時点でまだ生きている人物の《地獄での指定席》をつづった場合もある。

彼は一切、容赦しなかった。安易な同情にも、相手の地位にも目をくもらせなかった。
そして無名でも有徳の人間は天の高い位置に置いた。
彼は「因果の法」の厳正さを信じていた。

(彼は登場人物の名前<死後も続く《我》の象徴>は現在形にし<「私は○○である」等>、
一方、肩書<生前の一時的なもの>は過去形にと<「もと法王だったもの」等>、明確に使い分けている)

【イギリス青年部総会 平成三年六月二十九日(全集七十七巻)】