投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月25日(土)09時12分52秒

 
オーストリアの作家ツヴァイク(一八八一年―一九四二年)は、キリスト教の異端裁判官を非難し書いた。
専制的な人々は、「(人間の)精神を全面的に抑圧し、封じこめ、栓をし、壜詰めにし得るものだといふ妄想」を持ちがちだと。

しかし、圧縮するほど、《爆発》の危険は高まるのだと。(アテネ文庫『自由と独裁』高橋禎二訳 弘文堂)

これに対し、仏法は、いわば《春の論理》であり、その実践である。
人々を内側から解放し、開花させていく。大聖人もそうであられた。

末法という「冬」の時代に、つねに幸福の「春」をもたらす大法を、残してくださった。
また、幕府や当時の権威的既成宗教による問答無用の抑圧(冬)に抗し、つねに「民が子」(御書一三三二項)
「旃陀羅が子」(御書八九一項)という《差別され、見くだされる側》に立って、民衆の解放(春)のために、生命を賭してくださった。

その御精神を、私どもは永遠に受け継いでいかねばならない。
仏法者は「冬」と戦い続ける「春」である。
心を凍えさせる「権威の氷」を無力にする「人間性の春風」である。
まさしく、自他ともの「生命のルネサンス(再生)」を実現しゆく《春の使者》なのである。

【海外派遣メンバー研修会 平成三年一月十六日 (全集七十六巻)】