投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月12日(日)10時04分33秒
一方、大教院に対しては、怒れる民衆の轟々たる抗議の嵐――。
私もかつて、モスクワ市内の「トルストイ資料館」を訪れたさい(一九八一年五月)、これらの手紙類の一部を見学した。
また「トルストイの家」も訪問した。今も懐かしい思い出である。

ある識者は、トルストイへの手紙の中でこう書いた。
「(破門という)この残忍な、徹頭徹尾教会式な悪計は、極度に愚かしい道化芝居に変わってしまいました。
闇に乗じて背後からその犠牲者を切ろうとした殺人者は、不意に、思わぬ石に躓いて、真逆さまにどぶの中へ転落してしまった。
すなわち、聖大教院は世界中の物笑いの種になったのであります」――と。

また、ある工場の労働者たちの手紙には、このようにつづられていた。
「・・・・キリストの教会から破門さるべきはあなた(トルストイ)ではなくて、自分も天国へ行かなければ他の人びとをも行かせないあの連中こそ、破門さるべきなのでございます。
あなたの文学上の数々の著述が高き真理の転覆を目的とするものではなくて、その解明を目的とするものである事を、我々はよく理解しています」

また、
「あなたの教えは不毛の土地へは落ちませんでした。
それは数々の悪の誘惑から人類を救済すべく、世紀から世紀に伝えられるでありましょう。
そして我々はあなたを大偉人と思い、あなたのために、我々の胸の奥深くに、手によって造られたものでない永遠の記念碑を建立する者でございます。
三月四日。エヌ工場の労働者達より」と。

「世紀から世紀に伝えられるでありましょう」――。
真実は真実である。
それは、いかなる策謀によっても消すことはできない。
「時代」を超え、「世紀」を超え、真実は輝きを増していく。
民衆から民衆へ、伝えられていく。

民衆は賢明である。
民衆は勇敢である。
そして、だれが本当に民衆を愛し、真理を語っているか、本当のことを見抜く眼をもっている――今、紹介した民衆の声には、それらすべてが凝縮されていると、私は思う。

【全国青年部幹部会 平成三年十月二十七日(全集七十九巻)】