投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月10日(金)15時40分27秒    通報
池田先生は、
「ヴァッジ出身の比丘たちの主張は、教団の長老たちによって全面的に否決されてしまったわけだが、私は、彼らの要求は、かなり妥当なものであったと思う。
それは、長老派が戒律万能主義になってしまって、人間としての生き方を説いた、もっと広々とした釈尊の精神からは遠いものになりつつあった、と思われるからです。
いわば、仏教教団は、釈尊滅後百年にして、ひとつの革新が必要とされるまでにいたっていた、ということです。
釈尊の真価は、いかなる人間に対しても、一つの教条や戒律の枠にはめず、その具体的な個々の人間に即して、自在に法を説いた人間性の広さと深さにあることを見のがしてはならない。
そういう意味からすれば、生命のはつらつたる躍動をたたえた、真実の自由人といっていいのではないだろうか。
ところが、第一結集の際、その少々戒の範囲をどこまでにするかについて異論があり、なかなか決定しなかった。
経文によれば、そこで長老のマハーカーシャパ(迦葉)が、ともかく釈尊の制定した戒はもれなく遵守することに決定してしまった。
その結果、比丘たちは戒律を守るのに汲々として、教義も固定化し、自由な解釈も許されないまま百年が過ぎた、と思われる。
仏法には「随方毘尼」という原理がある。
これは、仏法を護る立場からすれば、大綱に違わないかぎり、各地方の風習や習慣に随ってもよいとするものだね」
(私の仏教観 三十八頁)と述べられています。