投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 9日(木)14時23分10秒    通報
行智らによる迫害は、弘安二年にはいると、ますます激しさをましていった。
四月八日、恒例の流鏑馬(走る馬上から的を射る行事)が、大宮(現在の富士宮市)の浅間神社が定期造営中のため、熱原郷内の三日市場にあった分社で行われた。

その流鏑馬見物の雑踏の中で、熱原の信徒の一人である四郎が襲われた。
「滝泉寺申状」によると、下方政所の代官の指示で、刃物で傷つけたとあるので、犯人は武士だったようだ。
また八月には、信徒の弥四郎が襲われ、首を切られて法華衆へのみせしめにされた。
やはり、武士による暗殺を示唆しており、権力側の暴行であったと考えられる。

こうした暴虐にあいながらも一歩もひるむことなく、熱原の人々は、大聖人の激励にいよいよ団結し、強盛な信心を貫きとおした。
「あつわらの者どもの御心ざし異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし(中略)日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成して・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書一四六三頁)

――熱原の者たちの信心の志が、異体同心であるならば、万事を成し遂げることができる。同体異心であれば、何事も叶うことはない。(中略)日蓮の一門は異体同心なので、人数は少ないけれども、大事を成し遂げて、必ず法華経が弘まるであろうと思われる。悪は多くても、一善に勝つことはない――。

大聖人は、このように、門下を励まされたのである。

【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】