投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 6日(月)12時11分52秒    通報
さて、
「種種御振舞御書」と「聖人御難事」は、日蓮の自叙伝的要素が多分にあります。
いや、ほとんど日蓮の自伝といってもいいのかもしれません。
いずれも、佐渡期以降に書かれた御書です。

「聖人御難事」は、立宗宣言から出世の本懐成就までの諸難が語られています。
「種種御振舞御書」は、蒙古の来牒という歴史的事件を契機に、
法華経の行者としての自らの生き方を示し、
日蓮の振舞いを語るだけでなく、
その御文のなかに日蓮の「物の考え方」や「信仰の捉え方」などが描かれています。

そこには、日蓮でなければ書けない「深い思想」がにじみ出ています。
なぜ日蓮は、自ら自伝を書く必要があったのでしょう。

釈尊にしても、釈尊の言葉を経典としてまとめたのは弟子です。
しかし、「種種御振舞御書」と同年に表された「報恩抄」の中で、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(報恩抄三二九頁)との烈々たる獅子吼があります。

日蓮にとって末法万年にわたる衆生を、救い切っていくためには、どうしても「法華経の行者」としての自らの振舞いと「生き方」を、後世に伝え残す必要があると考えていたのではないでしょうか。

そして何のための四度の大難だったのか。
何のための国主諌暁だったのかを、日蓮の「生き方」を通して「法華経の行者」の意義付けを示していったのだと思います。

この日蓮の精神を、現代に受け継いでいるのが「創価三代の会長」であり、その三代の思想です。

あえて創価学会の「大難と諌暁」を表現するならば、

一度目 「牧口・戸田両先生の宗門問題(神札問題)」
二度目 「第一次宗門問題(54年会長辞任)」
三度目 「第二次宗門問題(総講頭罷免・先生と弟子が破門)」
四度目 「創価学会の組織悪との闘争(弟子の戦い)」

となるでしょうか。

師匠が表に出られなくても、師匠は未来永遠に広宣流布の指揮をとられています。
組織全体がもしもダメになった時、弟子一人一人が立ち上がればいいのです。

もう第二次の時とは時代もちがう。
組織の中心者が「こいつが悪だ」と決めなければ、悪とわからないような弟子では厳しい。
組織の指示がなければ、動けない組織依存の弟子では厳しい。

日蓮の時代、命を捨てて、日蓮の思想を厳護したのは名も無き「熱原三烈士」だったのです。
私たち池田門下生は、いかなる時代になろうとも、永遠に「御書根本」であり「創価三代の指導根本」なのです。