投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 6日(月)12時08分50秒    通報
一度整理します。
「開目抄」で「人」の面から「法華経の行者」が体現している「法」の問題に行き着きました。
今度は「観心本尊抄」でその「法」の面からアプローチをしていきます。

そして、実践形態を明らかにするために、「南無妙法蓮華経」の唱題行の対象として「法」の上から「本尊の相貌」とその意義を述べていきます。

しかし、最終段階でその「法」を末法で下種していくのは「誰」なのか、ということに突き当たります。

「観心本尊抄」の結論部分的なところは、
「一念三千を識らざる者には仏、大慈悲を起し、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(二五四頁)というところでもあります。

この「仏・大慈悲を起し」というのは誰でしょう。
それは、「一念三千を体現した仏」だと思います。

そして、その「一念三千を体現した仏」とは、
開目抄で語られた「法華経の行者・日蓮」であると、結論付けすることができると思うのです。

日蓮の佐渡流罪は、二年数ヶ月に及びましたが、その間、鎌倉で日蓮と共に広宣流布を目指して戦う弟子門下に対し、次々と重要な御書を著し、弟子たちを指導・激励・育成していきます。