大楠公「楠木正成」②

投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 5日(日)13時02分7秒    通報
『太平記』によると、その貴族はこう言った。
「かつて尊氏が東国の大軍を率いて攻め込んできた時でも、味方は小勢ながら勝ったではないか。
もっとも、これは武士の戦略がすぐれていたからではない。
ひとえに天皇の運が天命にかなっていたからである。
ゆえに今回も難なく敵軍を滅ぼすことができるはずだ。即刻、正成は戦え、敵を迎え討て」と。

まったく現実離れした空論である。
こういう考えだから、武士の功績が目に映らないのも無理もない。
あるいは、武士の大功を認めたくないから、こういう論法を持ちだしたのか――。
どれほど尽くし貢献しても、それを当然のことと考え、一言のねぎらいも感謝もない。

自身の権威・権勢を保つためには利用するだけ利用し、用がすめば捨てればいい――天皇のもと、栄華を極めていた当時の貴族にとって、武士とはそれだけの存在でしかなかったのかもしれない。

自分たちを支え、懸命に働いている人々を見くだし、差別し、《もの》かなにかのように使い捨てる。
「悪」といえば、こんな「悪」も少ない。
人間として最低の行為である。
いわんや、もっとも正しくあるべき宗教の世界で、そんな非道が許されるはずがない。

暴言に対して正成は、「そこまで言われるうえは、もはや異議を申し立てることはできない」と、死を覚悟して湊川の決戦に向かう。

その結果、自軍は全滅。
正成自身も自害して果てる。
当然といえば当然の結末であった。
しかし、広宣流布の仏の軍だけは、絶対に敗れるわけにはいかない。
御本仏の「正法」を破壊することは絶対に許せない。

【第十三回関西総会、第五回兵庫県総会、常勝の花満開総会、県・区代表幹部会 平成三年十月十六日(全集七十九巻)】