会則珍問答⑦ 投稿者:ヨッシー 投稿日:2015年 2月27日(金)08時06分40秒   通報 編集済


A:おはよう!今日もいい天気だのう。
B:師匠、今日はやけにお元気ですねえ。
先日はだいぶ動揺されてたようにお見受けしましたが。 何かいいことでもありましたか?
A:バカモノ。あのような些細なことでワシが動揺するものか。
それどころか、ワシは「認定力」について思索を重ね、ついに認定法門のさらなる深みを知るに至ったのじゃ。はっ、はっ、はっ。
B:それはスゴイですねえ。師匠、是非お教え下さい。
A:まあ、教えても良いが、こんどは軽々しく法華講なんぞには言うなよ。
B:わ、わかりました。
A:大聖人が「開目抄」で「人本尊」の開顕を、「観心本尊抄」で「法本尊」の開顕をなされたことはお前も知っておるだろう。
B:はい、勿論知ってます。でも、先月の教学部見解で、「本門の本尊」に「人本尊」「法本尊」という立て分けはしなくなったんですよね。なにしろ、「日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない」と宣言したわけですから。
A:その通りじゃ。そこには深い意味があったのじゃ。
いいかよく聞け、今回の新会則発表は、実はかの二大御書・人法開顕をもしのぐ重大法門の開顕だったのじゃ。
B:な、なんかスゴそうですね、どういうことですか?
A:結論から言おう! あの発表には、「認本尊」開顕、「謗本尊」開顕という、世紀の二大開顕がなされていたのじゃ!
B:おお!、なるほど。もう少し詳しくご教示下さい。
A:つまりじゃ、六大秘法の否定によって、「人法」の立て分けと「人法一箇」の法義を否定したうえで、「本門の本尊」に認定した本尊と非認定(=謗法)の本尊という「認謗二箇」の本尊を立てる新法門を打ち立てたのじゃ。
B:おお!大聖人が長々とし かも二書に分けて書いたのに、こちらは新聞2頁で一辺に成し遂げたんですねえ!
A:その通りじゃ。これが日寛をも乗り越える「認定力」の真のすごさなんじゃ。「信」の一字のその前に、「認」の一字が大切なのじゃ。
B:「信心」ならぬ「認心」(にんじん)ですね!
A:そうじゃ。どうだ、今日はスッキリしただろう。
B:師匠、ありがとうございました。

(つづく)