投稿者:@佐武 誠  投稿日:2014年 9月29日(月)08時35分45秒    通報
矢野絢也と学会が和解するに至るまでを年表にまとめたものです。
ご参照ください。
1932年4月  大阪府八尾市生まれ(現在82歳)
1951年3月  大阪府立山本高等学校を卒業。
1953年     創価学会に入会。当時、京都大学経済学部3 年生。
1956年3月  同大学卒業。4月大林組に人社。
1963年4月  大阪府議会議員に当選。
1967年1月  34歳で衆議院議員に初当選。直後の臨時党大会で公明党書記長に就任。

1970年    言論問題を利用し、竹入らと公明党の学会(CP)  支配からの独立を画策
1977年~79年 宗門問題に乗じて、秋谷、藤原行正、内藤国夫らとCP打倒を画策。
1986年12月  公明党委員長に就任。
1988年12月  明電工事件発覚。
1989年5月  公明党委員長を辞任。同党最高顧問に就任。
1993年6月  政界を引退。以降は政治評論家に転身。「闇の流れ」「黒い手帖」等の連載・出版行う。

2005年4月    CPが杉山青、弓谷男を呼び、「最後の最大の敵である矢野をやる」と宣言し細々と指示。
2005年5月14日 欧州から急きょ帰国し戸田国際に直行した矢野を谷川、弓谷らがつるし上げる。
2005年5月    創価学会から激しい非難を浴び、矢野は謝罪し、評論・執筆活動を自粛。夕刊紙に連
載していたコラムも中止に。公明党OB3人に手帳を渡す。

2005年7月   弓谷男子部長解任事件。
2005年7月   週刊現代「学会&公明党のタブ――矢野極秘メモ100冊が待ち去られた!」
2005年8月   公明党議員OB3人が、『週刊現代』に掲載された記事で矢野の手帳を強奪したかのよ
うに報じられ名誉を傷つけられたとして、矢野と講談社らを提訴。

2007年12月  手帳裁判の一審判決。学会側が全面勝利。矢野に総額660万円の損害賠償金の支払いと
謝罪広告の掲載を命じ、手帳返還請求を棄却する判決を言い渡した。

2008年5月1日 創価学会を退会。
2008年5月12日「評論家としての活動をやめるよう強要された」などとして学会と学会幹部を相
手取り、5500万円の慰謝料を求める民事訴訟を起こした【1】。

2008年5月15日 週刊新潮「矢野絢也を窮鼠にした『創価学会』の脅迫と誹膀中傷」
2008年5月20日 谷川佳樹は、『週刊新潮』の矢野に関する記事で名誉を棄損されたとして、矢野
や新潮社らに1100万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて提訴【2】。

2009年3月  手帳裁判の二審判決。学会側逆転敗訴。矢野側の主張を全面的に認め、持ち去った手
帳の返却と合わせて300万円の支払いを命令。学会側による音声データの改竃を認定。
2009年6月  公明党議員OB3人が「闇の流れ」「黒い手帖」に記載された虚偽の記述で名誉を毀損
されたとして、講談社と矢野らを相手に6600万円の損害賠償と謝罪広告の掲載等を
求めて提訴【3】。

また「新潮45」2009年6月号の記事についても同様に名誉毀損にあたるとして
3300万円の損害賠償等を求めて提訴した【4】。
別件裁判でのICレコーダーの音声データ改ざん認定の汚名返上を狙う。

2009年9月  最高裁が二審判決を支持、上告を受理しない決定を下し、学会側の敗訴が確定。
2011年1月  東京地裁が谷川勝訴の一審判決。矢野・週刊新潮・早瀬編集長に33万円の賠償金の支
払いを命じたが、その一方で、谷川が矢野を脅迫した事実は認定された。
双方が判決を不服として、東京高裁に控訴。

2011年4月  谷川・矢野二審裁判の裁判長が交代。和解勧告の流れへ。
2011年10月 矢野の暴露本第一弾「乱脈経埋――創価学会vs国税庁の暗闘ドキュメント」発刊
2011年10月 週刊文春「池田名誉会長『厳戒病室』本当の病状」
2011年12月 週刊文春「読者より」投稿欄の中に「編集長から」(小さなべ夕記事で疑惑の手打ち!)
2011年12月 竹岡光城の結婚式(和解の舞台裏の面々勢揃い)

2012年2月  双方が裁判所の勧告を受け入れ、【1】~【4】の4件すべての訴訟を取り下げた。

2012年2月  アクセスジャーナルが矢野と学会との和解をスクープ。
2012年2月  週刊朝日3月9日号「(矢野・学会和解の陰で)お蔵入りした『暴力団』本の中身」
2012年3月  FACTA4月号「(矢野との和解で)創価学会次期会長に谷川事務総長が確定」
2012年7月  週刊実話7月19日号でFACTAの記事を「山田直樹」の名前で蒸し返す。
*弓谷くん
何故、創価学会は仏敵と和解などしたんだろうか。
失ったものの大きさ。。その代償はなんだったんだろうか?。