投稿者:ダメよ~ダメダメ~  投稿日:2014年 8月27日(水)19時28分30秒

 
信濃町の人びとさんへのお返事です。

こんばんは。結構核心部分のお話。

> 本部幹部会の席上、秋谷が厳しい叱責を受けた。日顕、矢野の問題。
>
> 宗門との闘いが決着しない→ぺんぺん草がはえるまでと宣言したが倒しきれない。教学部長の日精問答敗北など、不手際が続いた。

日精問答論文はそもそも返り討ちにされる様な程度のものでした。当時の教学部長名で日顕に出しました。ある方が出さない方が良い。この内容では返り討ちにされると御忠告申し上げたのにもかかわらず提出。結果、邪義破折班とやらに反撃されそれに対して反論不能となり敗北。教学部長の事実上の更迭。交代。その数年後当時の教学部長は亡くなられた。

> 矢野問題→除名と厳命したのに除名にせず先に脱会された等の不手際。矢野については明電工疑惑より以前におかしい時CP指摘があったが、ズルズルときている。

先生が除名と厳命したのに何故除名していなかったのか?これがもともと時代は遡る54年問題にも繋がる根が深い問題。そして現在に至る。

> いつまでのさばらせておくつもりかとの叱責に対して、秋谷は皆の前で立たされて以下の趣旨を発言。

本部幹部会本番での壇上での先生のご叱責、ご指摘はこればかりではない。

> 日顕とは正邪の決着をつけなければならない。矢野のような反逆者の悪行も厳しく断罪しなければなりません。その戦いの道を、わが師、池田名誉会長とともに歩んでまいりたいと思います。

と言いながら先生や会員さんの前では拳を上げ威勢が良いのだが、見えない所では矢野と握手会(笑)これは今に始まった訳ではなく、これも又54年問題に繋がるお話。後に本部幹部会本番の壇上で『A谷は私を週刊誌に売ったんだ』というご発言。ご叱責が。