投稿者:だいせいどー 投稿日:2014年 8月 2日(土)00時10分20秒
1979年(昭和54年)の4月24日――。
この日、私は、19年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。
全国の、いや、全世界の同志は、その発表に、愕然として声をのんだ。
その背後には、悪辣(あくらつ)なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。

畜生のごとき坊主らの暴圧による、わが友たちの苦悩を、悲鳴を、激怒の声を聞くたびに、私の心は血の涙に濡れた。心痛に、夜も眠れなかった。
私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和合の道を探り続けた。

坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。

私は苦悩した。

ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。
「私が辞めれば、事態は収まるんだな」
沈痛な空気が流れた。
やがて、誰かが口を開いた。
「時の流れは逆らえません」

沈黙が凍りついた。
わが胸に、痛みが走った。
――たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。
実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。
また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。
しかし、時流とはなんだ!
問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。
宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。
それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。
情けなく、また、私はあきれ果てた。

戸田会長は、遺言された。
「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と。
この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。
ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!