投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2014年 8月 1日(金)18時59分48秒
くらさいさんへのお返事です。

> なるほどねー
> そりゃヤマトモの下で動いていたらヤマトモ流に染まっちゃうわー
> 戦いかたを教えてもらったのもヤマトモ、師匠は名誉会長じゃなくってヤマトモだねー
> けっきょく名誉会長を四面楚歌にしたのはあなたたちじゃーないのー??
> いまだにコソコソと謀略ばっかやってないでしょうねー!!
>

山崎・八尋の手下である、竹岡、北林についてこんな元同僚の証言があります。
弁護士でありながら不法行為を平気で行い、上司である北条につかえていた輩。
責任を会長に押し付け、辞任に追い込む。
今も全く変わらない。いや、さらに酷い状況にありますよ。

学生部時代の竹岡はそれほど目立つ存在ではなかった。
竹岡は宮本盗聴事件に学生部在籍中に関わっている。学生部時代からすでに裏の仕事、謀略に従事していた。
卒業と同時に学会職員として採用されるが、最初の配属は新社会研究所。
表向きは「情報パック」だったかなにかの媒体を出す小出版部局。しかし、実際は情報収集機関。だから竹岡と一緒に、やはり宮本盗聴にも関わり、謀略部隊の中核的存在だった北林芳典が配属された。

身分は学会本部職員だけども、最初から裏工作、謀略に専念させていた。
実際、竹岡や北林はその後、妙信講(創価学会と対立した日蓮正宗の法華講の一組織〉盗聴事件や保田妙本寺(日蓮正宗寺院)盗聴事件、さらには立正佼成会分断作戦
などに従事し、

名実ともに山崎正友弁護士指揮下のいわゆる「山崎師団」となっていく。