投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2014年 9月14日(日)10時07分55秒  

池田先生の指導です。
秋谷はどう行動したか。はっきりしてますよね。池田先生を師匠と見ない、見れない。
そこに問題がありますよ。何を言いたいのやら。理解に苦しみます。

◆師の言のままに
 一、戸田先生は宣言された。
 「3代会長は、青年部に渡す」「譲る会長は一人でありますが、そのときに分裂があ
ってはなりませんぞ。今の牧口門下が私を支えるように、3代会長を戸田門下が支え
ていきなさい」
 昭和27年の2月17日、第1回青年部研究発表会でのことである。
 私も出席した。当時、女子部だった妻は研究発表をしている。
 先生は、こうも叫ばれた。
 「私は広宣流布のために、身を捨てます。その屍(しかばね)が品川の沖に、また、
どこにさらされようとも、3代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」
 その言葉の通り、私は世界広布の道を開いた。190もの国と地域に、平和と文化の
スクラムを広げた。皆さまが、ご存じの通りである(大拍手)。

先生は常々、「偉大な第3代会長を全魂込めて守れ! 3代を中心に生き抜
け! そうすれば、広宣流布は必ずできる」と語っておられた。
これは多くの最高幹部が知っていることだ。
 あの厳格な、人をめったにほめない先生が、こう言い残された。
 私は先生の遺言のままに戦った。先生を世界に宣揚(せんよう)した。
 師の言を、現実にするか、どうか。これが峻厳なる分かれ道である。悪名を後世に
残してはならない。
 〈ある人は、こう書き残している。
 「戸田先生の逝去の後、池田先生が第3代会長に就任されると確信していた。なぜ
なら、かつて市ケ谷の(学会の)分室に戸田先生に指導を受けに行ったところ、戸田
先生はしみじみと『私の後は、私の一番かわいい、しかも目の中に入れても痛くない、
私の大事な懐刀(ふところがたな)の大作がやってくれるから……』と話してくださった
からだ」
 また昭和33年3月16日の戸田会長の話として、次のような証言がある。
 「戸田がいなくなっても、第3代会長になられる方は、すでに決まっている。第3代会
長になられた方が、戸田亡き後、広宣流布のすべての指揮を執り、世界広布の教え
を、すべて残してくださる。第3代会長の後は、だれが会長になっても、第3代会長の
教え通りにやっていけば、世界広布は自然にできるようになっている。
 4代から先は、公平な方であれば、だれが会長になっても困らないように、第3代は
仕上げてくれます。
 第3代会長の言う通りに実行していけば、世界広布は必ず実行できるのです」〉