投稿者:新宿A 投稿日:2014年 9月12日(金)20時52分29秒   通報
不公平になるので主尋問もあげました!

原告代理人(成田吉道)
甲第89号証( 陳述書)を示す
この署名押印は,あなたのものですね。
はい, そうです。
書かれている内容に間違いはありませんか。
間違いありません。
以下,平成17年5月14 日に行われたあなたや青年部と矢野氏との面談を
「本件面談」といいます。この裁判では,本件面談で,あなたや青年部が矢
野氏に対し, 人命にかかわるかもしれない,あなたは息子がどうなってもい
いのかと述べた事実があるか否かが争点となっています。本件面談において,
あなたや青年部が,そのような発言をした事実はありますか。
一切ありません。
甲第92号証の2(反訳書)を示す
本件面談の様子については,この反訳書にあるとおりですか。
このとおりです。
この録音データの中に,あなたや青年部が矢野氏に対し,人命にかかわるか
もしれない,あなたは息子がどうなってもいいのかと述べている場面はあり
ますか。
一切ありません。
矢野氏は,この録音データの中から, 自分の発言が消えているというふうに
述べていますが,データの削除,改ざん等がなされた事実はありますか。
そうした事実は,全くありません。
本件面談の状況を録音したのはなぜですか。
面談の趣旨が,平成5年当時,矢野氏が文春手記を書いた意図は何か。
そして, そのことを今どうお考えであるかということを確認すること
が, 面談の意図でしたので,正確に記録を残しておきたいという青年
部の話を受けて了解いたしました。
確認ですが, 平成1 7年の本件面談当時は, あなた自身は青年部ではなかっ
たということですね。
はい,そうです。
矢野氏が衆議院議員になる前の創価学会における主な略歴を確認します。青
年部の副主席参謀,創価学会副理事長を経て,昭和41年5月には初代の関
西男子部長となり, 昭和42年5月まで関西男子部長の立場にあったという
ことでよろしいですか。
そのように理解しております。
矢野氏が初当選した昭和42年1月の総選挙というのは,公明党が初めて衆
議院に進出した選挙ですね。
はい, そうです。
矢野氏はその後,二十数年間の長きにわたり公明党の書記長, 委員長を務め,
平成元年に委員長辞任後も,平成5年6月の衆議院の解散で政界を引退する
までは,公明党の常任顧問を務めていましたね。
そのとおりです。
甲第50号証(謝罪文)を示す
これは, 本件面談当日に,矢野氏に署名してもらった書面ですね。
そうです。
この書面は, もともと何のために作成したものですか。
もともと矢野氏に面談で直接確認するポイントを整理するために作成
したものですが,面談の中で,この点についてお認めになれば,確認
の意味で署名をしていただこうということで用意したものです。
この書面では,冒頭から3行目に, 私は創価学会員ですとありますが, この
点を確認しようとした理由は何ですか。
これは,矢野氏と面談する上において,最も基本的な前提になると考
えたからです。
最も基本的な前提というのは,どういうことですか。
矢野氏に,創価学会員であるという自覚があり,生涯,学会員として
信仰を貫くという決意があって,会員同志としての共通の基盤,共通
の認識に立った話合いが可能になるという,そういう意味です。
会員同志としての共通の基盤,共通の認識に立った話合いが可能になるとい
うのは, もう少しかみくだいた言い方をすると, どういうことですか。
同じ信仰を,実践する大先輩と後輩との率直な語り合いが可能になる
という意味です。
甲第30号証(「文藝春秋」平成5年10月号」)を示す
これは, 矢野氏が政界を引退した直後の平成5年9月10日発売の文藝春秋,
平成5年10月号に掲載した手記ですね。
そうです。
これを以下「文春手記」といいます。
甲第39号証(報告書)を示す
3枚目に添付してある一覧表の右側の国会質問の欄には,矢野氏の文春手記
を利用して行われた計8回の国会質問を整理してありますが,このとおり間
違いないですか。
はい,間違いありません。
この国会質問の欄の上から4項目ですが,平成5年10月8日から平成6年
6月17日までの間に,当時,自民党議員であった下稲葉耕吉氏が3回,亀
井静香氏が1回,文春手記を利用した国会質問を行っていますね。
はい。
ところで,平成6年ごろに,この2人と矢野氏の関係をうかがわせるような
出来事がありましたか。
はい,ありました。
どんな出来事ですか。
平成6年3月に,矢野氏が麹町に事務所を開設されましたけれども,
2人ともこの事務所開きに参加しています。
甲第90号証(「恩義を感じることと政教分離は矛盾しない」と題する原稿)を示

この文書は, 平成16年11月に矢野氏が実名で公表することを前提として,
秋谷会長に提出したというものですが,本件面談前にご覧なっていますか。
はい,見ています。
この文書を読んでの,端的な感想はどのようなものでしたか。
大きく言うと2点あります。
1点はまずどういうことですか。
矢野氏は,この文章を,「はじめに」というところから,「およそ,
人には忘れてはならない恩義というものがある。」というふうに,恩
義ということについて書き出されておりまして,この1ページの真ん
中の「◎恩義とは何か」というところから,創価学会,特に関西の同
志に大変な恩義を受けたということをるる書いておられるわけですけ
れども, 実際の引退後の矢野氏の行動を見ると,その受けた恩義に感
謝するとか,それに報いるとかいう行動とはほど遠いのではないかと
いうふうに感じました。むしろ,恩を仇で返すというような行動にな
っているのではないかというふうに思いました。
そのように感じたのは,この書面のどの部分ですか。
「はじめに」に,最初3行,「およそ,人には忘れてはならない恩義
というものがある。時代が変わり,人が変わり, 自分の立場や, 考え
方が,たとえ変わったとしても, 個人の心情として忘れてはならない
恩義はあるものだ。」というふうに書かれておりまして,恩義とは何
かの後で,入会のときから, 青年として,またその後,政界に出ても
大変にお世話になったということを書かれておりまして,その内容は
極めてまっとうなものだというふうに思いました。
その書かれてある内容と,議員引退後の矢野氏の行動が大きくかけ離れてい
るということですか。
そのとおりです。
もう一点は,どういうことですか。
もう一点は,この「はじめに」の中ごろの部分で,竹入元委員長の回
想録について,極めて的確に批判しておられるのに対して,肝心の文
春手記についてはわずか2行で済ましているというふうに思いました。
竹入元委員長の回想録に関して,極めて的確に指摘されているというのは,
この「はじめに」のどの箇所ですか。
「はじめに」の6行目のあたりですけれども「かれの手前勝手な思
い込みで,事実でない記述が多い。その結果,政教一致の誤解を招き
党史が歪められている。かれが元委員長の立場で語れば,それが誤っ
ていても,元委員長の言うことだからと,世間は真実と思うかもしれ
ない。ならば私は元書記長の立場でそれを正し,真実を語る責務があ
る。彼の曲解を正すこともこの手記の目的だ。」と極めて的確に批判
をされておりますけれども,ご自身の手記については,この「はじめ
に」の最後のところで,「私の意図しないことだったが,過去に,不
注意のため,不適切な表現が数箇所あって,党,学会への誤解を招き,
ご迷惑をかけたこともある。率直にお詫びしたい。」これだけで済ま
せているという点について違和感を覚えました。
真摯な反省がないというふうに感じたということですか。
はい。「私の意図しないことだったが,過去に,不注意のため,不適
切な表現が数箇所あって」という程度のことでは,真摯な反省にほど
遠いというふうに思いました。
あなたは,そうした認識のもとで矢野氏と面談をしたということですか。
そのとおりです。
ところで,公明党の立党精神は,大衆とともに語り,大衆とともに戦い,大
衆の中に死んでいくということですね。
そうです。
甲第2号証の1(公明新聞)を示す
これは,公明党の前身である公明政治連盟の結成史をかねた昭和37年9月
13日の第1回全国大会における池田会長の講演ですが,この講演が公明党
の立党精神の源流となったものですか。
そのとおりです。
それは, この講演のどの部分になりますか。
この下から2段目の黄色い色が塗ってあるところですけれども,「最
後の最後まで,生涯政治家とし,そして指導者として,大衆に直結を
していってもらいたい。偉くなったからといって,大衆に遊離したり,
また,大衆とはなれて孤立して,組織の上にあぐらをかいたり,そう
いう今までの政治家のような政治家にはなっていただきたくないので
あります。大衆とともに語り,大衆とともに戦い,大衆のために戦い,
大衆の中にはいりきって,大衆の中に死んでいく。」「全民衆のため
に,どうか,公政連の同志の皆さん方だけは,大衆の中の政治家とし
て一生を貫き通していただきたい。」この部分です。
今,読み上げられた部分に,大衆中で死んでいく,大衆の中の政治家として
一生を貫き通していただきたいとありますが,これは,どのような意味です
か。
議員の時代はもちろんのこと,議員をやめても,生涯大衆とともに戦
うという覚悟と決意があって,初めて権力の魔力に食い破られないと
いう意味で,大衆の中に死んでいくというのは,立党精神の中の眼目
ともいうべき重要な点であるというふうに思います。
この立党精神は,公明党や公明党の議員にとっては,どのような意味を持つ
ものなんですか。
立党精神は,公明党の魂ともいうべきものであり,この立党精神が失
われれば,公明党の存在意義はもはやないといってもいいものだと思
います。公明党の議員は,この立党精神を貫いて,生涯私利私欲を離
れて,大衆に尽くし抜いていくということを誓って議員になる。そう
いう誓いという意味もあります。
公明党の議員を支援する創価学会員にとっては,この立党精神というのは,
どのような意味を持っているのでしょうか。
学会員は,公明の議員が生涯立党精神を貫いて,大衆とともに戦って
くれると期待をして,信頼をするからこそ手弁当で献身的な支援をす
る。そういう意味では,学会員と公明党の議員の間には,同志的な連
帯があり,そして,その同志との間に生涯立党精神を貫くという盟約,
同じ理想に向って進んでいく同志の約束事というのがあるという関係
があります。
昭和42年に初めて衆議院に候補者を出した,草創期の公明党を,そのよう
な思いで学会員が支援してきたことについて,あなた自身,肌で感じたよう
なことはございますか。
そうですね,私は昭和31年の生まれですので,公明党の結党が小学
校2年生のときで,衆議院に公明党が初めて進出をしたときは,小学
校の4年生でした。私の両親をけじめ,近隣の学会員の方々が,庶民
が願ってやまない政界の浄化と大衆の福祉という理想を掲げて,何と
しても新しい政治を作りたいと,そのために,同じ信仰を持った同志
を代表として政界に送ろうということで,当時,皆さん,生活もそん
なに楽ではありませんでしたので,ときにはわずかな食費を切り詰め
てでも,活動費を捻出して選挙に飛び回っていた,そういう活動を目
の当たりにして幼少期を過ごしました。
ところで,矢野氏に対する創価学会員,特に関西の学会員の期待というのは,
どのようなものだったんでしょうか。
矢野氏は,若干34歳で衆議院に初当選して,その直後に公明党の書
記長に就任をされました。そういう意味では,草創期の公明党の若き
エースとして,会員の期待と注目は非常に大きかったと。特に関西の
同志は,初代男子部長,自分たちの青年のリーダーがそのまま代議士
として,また公党の書記長として,政界の中央に飛び込んでいったわ
けですので,その連帯感とー体感は大変強いものがあったというふう
に聞いております。
ところで,聖教新聞では,平成十二,三年ごろより,政治家のあるべき姿,
また,公明党の現職議員,議員OB,また,その家族のあるべき姿について,
積極的に座談会で取り上げるようになりましたね。
はい。
甲第55号証及び甲第58号証(聖教新聞)を示す
甲55号証は,平成13年3月の新聞で,甲58号証は,平成15年9月の
新聞ですが,それぞれこの大見出しに公明党は立党の精神を忘れるな。公明
党よ,全議員,0Bが総立ちで戦え,引退後こそが支持者への恩返しだとあ
りますが,このような座談会記事が掲載されたのは,なぜですか。
この2001 年3月31日のほうの記事の左の上に,年表が出ており
まして,公明党40年のあゆみと書いてありますけれども,公明政治
連盟が結成をされて40年という歳月が流れる中で,数多くの地方議
員,国会議員が誕生しました。支持者の期待にこたえて立派に活動し
ている議員が多かったんですけれども,中には年月の経過とともに,
立党精神を忘れて,腐敗堕落したり,私利私欲に走って不祥事を起こ
したりする議員や,議員OB が出てきましたので,次の時代に進んで
いく上で,もう一度立党精神を確認して,献身的な支援を呼びかけて
きた支援団体の責任としても,もう一度立党の原点に帰って,大衆の
ために尽くしていくということを,議員,議員OBに訴えたものです。
ところで,矢野氏自身は,この立党精神の重要性について,どのように述べ
ていたのでしょうか。
書記長,委員長時代,一貫して立党精神の堅持ということを訴えてお
られたというふうに記憶しております。
甲第11 号証の2(公明新聞拡大版)を示す
これは昭和61年12月の公明新聞ですが,矢野氏が委員長に就任した際の
あいさつが載っています。この中で,矢野氏は立党精神に言及していますか。
はい,言及しています。
それは,どの部分ですか。
最後の段の真ん中あたり,黄色い色が塗ってるところですけれども,
「立党の精神を,いま一度思い起こし,将来ともに『民衆の側に立ち
』『民衆に愛される公明党』として前進することを決意しようではあ
りませんか」ということで,委員長就任のあいさつで,全党員に向け
て立党精神を強調し,堅持を呼びかけています。
あなたは,本来,矢野氏は議員OBとしてどのような責任を果たすべきであ
るというふうに考えていましたか。
矢野氏は,23年間にわたって書記長,委員長という公明党の最高の
役職を経験をされた,そういう意味では公明党の顔ともいうべき存在
ですので,当然,後輩の議員,議員OBに対して立党精神を体現した
模範の存在として模範を示すべき,そういう人物であるというふうに
考えておりました。
平成17年になって,関西の青年部が,矢野氏の文春手記について問題提起
したのは,今述べられたような背景があったということですか。
そのとおりです。
甲第100号証(報告書)を示す
ここに添付された写真は,本件面談が行われた戸田記念国際会館の応接室で
すね。
そうです。
ソファの配置,各自の着席位置も本件面談当時と同じですか。
はい,同じです。
矢野氏は,本件面談以前にも,この戸田記念国際会館に来たことがあります
か。
はい,4月に西口副理事長と面談をされたときを初めとして,過去に
何回も来られたことがあるというふうに聞いております。
甲第50号証(謝罪文)を示す
これは,先ほど,本件面談で矢野氏に直接確認するポイントを整理した書面
ということでしたね。
そうです。
この真ん中あたりに文藝春秋に手記を出したこと自体が間違いでしたとあり
ますが,このことを矢野氏に確認しようとしたのは,なぜですか。
矢野氏はこれまで,この文春手記について,不注意のために文春に掲
載をしたということを言っておられましたけれども,平成5年当時の
タイミング,それから手記の内容,そして,掲載された媒体というこ
とを総合的に考えてみて,この文藝春秋の手記の掲載には,一定の意
図思惑があったのではないかということが容易にうかがわれます。そ
れで,当時の矢野氏の意図を確認するとともに,それを今,どう考え
ておられるかということを確認したいということが,今回の面談のテ
ーマでした。
最初に述べました,本件手記を掲載したタイミングというのは,どういうこ
とですか。
平成5年9月といえば,矢野氏は二十数年間公明党の支持者の熱烈な
支援を受けて代議士としてまた公明党幹部として議員活動されて引退
した直後ということもありますし,また,この9月号の掲載の直前に
は,細川政権が誕生して,戦後38年ぶりに自民党が下野しました。
自民党は政権復帰を目指して,この細川政権のかなめの存在である公
明党並びに公明党と創価学会の関係について,やっきになって攻撃材
料を探していると,そういうタイミングでこの手記は掲載されました。
2番目に述べました,本件手記の内容というのは,どういうことですか。
内容というのは,矢野氏は政界仕掛人と言われるほど,政局の読みに
たけた人で,この政局の状況の中で,どういう材料を出せば,それが
攻撃に使われるかということを十分知り尽くした上で,意図的な誤り
も含めて,この手記を掲載したというふうに思われたからです。
3番目に述べた,本件手記が掲載された媒体というのは,どういうことです
か。
これは,この当時,月刊文藝春秋は,毎月,反学会キャンペーンとも
いうべき記事を連載し続けておりまして,その連載の中に,この矢野
氏の手記が掲載をされたということは,これは一定の意図があるので
はないかというふうに思われました。
甲第1号証(「週刊新潮」平成20年5月22日号)を示す
本件の週刊新潮の記事ですが,この3枚目,27ページの2段落の右側に矢
野氏のコメントが掲載されています。矢野氏は,「ここで息子がどうなって
もいいのか,などという趣旨のことを言われ,家族にまで危害が及ぶ恐怖を
感じたのです。それで文春に書いた手記についての謝罪と,今後評論活動は
一切しませんと約束させられてしまいました」というふうに述べていますが,
そのような事実はありましたか。
一切ありません。
まず,文春手記の謝罪について,あなた方にとって,矢野氏が意思に反して
謝罪をするということに,何か意味がありましたか。
何の意味もありません。
あなた方は,矢野氏に,どのような謝罪を求めていたのですか。
真摯な心からの謝罪を求めていました。真摯に心から謝罪をされてこ
そ,初めて矢野氏にとっても新しいスタートになりますし,私たちに
とっても面談の意味があるということで,形ばかりの謝罪などは,何
の意味もないというふうに考えておりました。
本件面談において,矢野氏は,文春手記の個々の記述についての誤り,また
手記を書いたこと自体が間違いであったことを認めましたか。
はい,認められました。
甲第92号証の2(反訳書)を示す
16ページ,179項のあなたの発言の最後の2行で,あなたは手記を出し
たこと自体について,矢野氏がどう思うのかが根本のテーマですと述べてい
ます。手記の個々の記述の誤りについては,この前までに矢野氏はその誤り
を認められていましたね。
はい。
この179項からが,手記を出したこと自体について,矢野氏がどう思って
いるのかについてのやりとりが始まるわけですか。
そのとおりです。
29ページ,331項,333項で,矢野氏は「悪かったと思います。」,
「思います。明確に申します。」と述べていますが,矢野氏は何について,
このように述べているのですか。
これは,文春手記を書いたこと自体が悪かったと思いますと。文春手
記に書いたこと自体が悪かったと明確に申しますという意味です。
36ページ,415項で,杉山氏が,「このことは,やっぱり関西はじめ,
青年部に伝えても,よろしいですね。」というふうに矢野氏に問いかけると,
矢野氏は,「いいです。」と答えていますが,ここで,矢野氏は何を伝える
ことを了解したのですか。
これは,矢野氏が文春手記を書いたこと自体が誤りだったということ
を認めたことを,関西はじめ,青年部に伝えてもよろしいですという
意味です。
ところで,本件面談において,矢野氏の家族のことが話題になったことがあ
りますね。
はい,ありました。
42ページ,486項のあなたの発言ですが,矢野氏の家族に触れた発言が
出るのは,この486項のあなたの発言が最初のようですが,間違いないで
すか。
間違いありません。
先ほど,確認した,矢野氏が文春手記の個々の記述についての誤りや書いた
こと自体が間違いであったことを認めるまでの間に,矢野氏の家族のことが
話題になった事実はありますか。
一切ありません。
本件面談において,矢野氏が,評論家活動をやめる旨の発言をしたことがあ
りますね。
はい。
38ページ,440項を見ると,矢野氏が「やめましょう。」 と発言してい
ますが,これが矢野氏が評論家活動をやめる旨発言した箇所ですか。
はい,そうです。
今,確認した,矢野氏が評論家活動をやめる旨の発言をするまでの間に,矢
野氏の家族のことが話題になった事実はありますか。
ありません。