投稿者:ジョーカー 投稿日:2019年 6月 2日(日)20時41分19秒   通報
池田大作全集81巻 P,175より

「悪侶(経典の意義を誤って説く者)に対しては、みずから責め、それでも足りなければ国主に訴えてでも責めよ、と厳然たる御命令である。
今、民主主義の社会にあっては、国主とは民衆であり、広く民衆に訴え、公の社会問題として糾弾していくことをさすともいえよう。一人一人の鋭い破折と社会的な告発と、その両面から責めていくのが、経文に合致した戦い方と信ずる。(拍手)」

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悪との戦い方の具体的な示唆である。悪を自ら責めるのみならず、広く民衆へと訴え糾弾していく。この両面がなければ、悪を駆逐することはできない。それだけ、悪と云うものは根深く、やっかいなものともいえる。遠慮していては、悪に飲まれるだけ。悪を炙り出し、公にする。この戦いをすると、大難が競い起こる。それこそが、日蓮仏法の戦い方なのだ。