投稿者:ジョーカー 投稿日:2019年 3月10日(日)20時52分40秒   通報
池田大作全集75巻  P,406より

「『納得できないことは納得できない』と、民衆が頭を上げていく。“あたりまえ”のことを堂々と誠実に、主張していく。そこに燦然たる広宣流布の歴史がつづられていく。」

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民衆の「あたりまえ」こそが宝であり、守るべきもの。おかしいものは、どこまでいってもおかしいのである。組織主義は、このあたりまえを歪め、おかしな基準をつくり、麻痺させる。麻痺した民衆は、権力の魔性の狂いを見抜けなくなり、無力化する。そうして、魔王の世界は構築されていく。故に、民衆は絶対に、無力化させられてはならない。

子路様

組織にとらわれすぎると、組織の中の悪を見た時に、喜捨できなくなってしまいます。創価学会の中にも、善悪は厳然と存在し、第六天の魔王の働きもします。組織の悪を助長させることに喜捨すれば、罰を受け、不幸になる。こうなると、疑心暗鬼となり、何が正しくて、間違っているかわからなくなり、混乱します。

それでは、何に対して惜しまずに喜捨すればいいのか。自分自身のすべてをかけて戦うに値するものは一体何か。私は、「仏の願いに喜捨」することだと考えます。仏の願いとは、一切衆生を仏の境涯にすること。それが広宣流布であり、その仏の願いを実現するために、命をも惜しまず戦うこと。この人こそが仏です。全人類を仏にする戦いに、すべてをかける。それが間違いのない、正しい喜捨といえます。

組織という小さな枠を超え、仏の次元で物事を考える。一切衆生、全宇宙規模のスケールにならないと、正しい喜捨の道は見えてきません。仏の一念に合致させる唱題こそが要であり、すべてです。そして、全人類を仏にするために、自分のできることのすべてをやること。それが仏道修行であり、無上道で