投稿者:ジョーカー 投稿日:2019年 2月12日(火)00時52分56秒   通報
池田大作全集74巻 P,565より

「何が善で,何が悪か。何が正義で、何が偽りなのか。一般的に、『善』には、さまざまな立場や見方がある。とらえ方が分かれる。そのため、立場が変わると、何を『善』と判定するか、決めることがむずかしくなる場合も多い。また『善』と『悪』を納得させるには、多くの証明を必要とする。」

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本当に人々が心から納得する「証明」をすることは、不可能に近い。善を証明することも、悪を証明することも、無理難題といえよう。それでも、自分自身のなかで答えを出さなければならない。その道標となるのが「人間主義」であり、御書ならびに創価三代の指導となる。

子路様
人というのは、生命力を奪う側と、与える側に分かれます。組織について頑張っている人は、「どうせ話をしてもわからないだろう」と思わせてしまう人が多く、結果的に、生命力を奪う側になりがちです。組織に距離を置いている人は、諦めの傾向が強く、愚痴と文句も出やすくなるので、これもまた生命力を奪う側になりがちです。

法華経を正しく行じるとは、生命力を与えること、つまり抜苦与楽の人です。それが仏の生命ともいえます。そして、正義の師弟に生き抜くということも、何があっても、どのような立場であろうとも、生命力を与え続ける生き方をするということです。奪うか、与えるか。その、仏と魔との戦いです。

その上で、自分自身の意志を持って生きること。考えてない人、おかしいと思っても何もしない人は、結局のところ意志がないのです。自分はどうする、どうしたいがない。組織信心も同じく、意志がない。これでは本当に生きているとは言えないのです。

誰が何と言おうとも、自分が正しいと思う道を、意志を持って生きること。そして、生命力を与え続けること。それが、日蓮大聖人、創価三代の生き方ではないでしょうか。私自身も、そこを意識しながら生きています。