投稿者:ジョーカー 投稿日:2018年11月30日(金)23時34分59秒   通報
「“おごり”や“慢心”は、退転への道である。ゆえに、いつしか心にしのび寄る“おごり”“慢心”を、厳に戒めねばならない。信心の世界には“傲慢の人”は必要ないし、絶対にいさせてはならないと、強く申し上げたい。
もし、そのような幹部がいれば、われわれがいなくなった後、彼らは純真な学会員をいじめ、利用し、皆が苦しめられるであろう。それを想うと、先輩である私たちは、厳しく見守り、戦っていかなくてはならない。」

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創価学会には、傲慢な幹部は、絶対に必要ないのである。傲慢な幹部を擁護すること、これ慈悲魔である。魔は、人間の最も弱い部分につけ込んでくる。弱い部分とは何か。それは「やさしさ」である。傲慢との戦いにおいては、やさしさが仇となり、結果的に善人が苦しむことになる。これ無慈悲なり。