投稿者:ジョーカー 投稿日:2018年11月10日(土)10時25分7秒   通報
池田大作全集68巻 P170より

「広布の組織の健全な発展と成長には、会員同士の聡明な意見の交流を欠かすことはできないものだ。上に立つ人が、第一線の友の建設的な意見に耳をふさぐようであってはいけない。
『盲従』の組織は、強いようにみえて、じつはもろい。反対に、一人一人の意見を交わしあいながら築きあげた和合の組織は、強靭である。組織の指導者である皆さま方は、この点を、よくよく銘記していただきたい。」

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盲従か和合の組織か。率直な意見を言うこともできない、もしくは言いづらい組織は盲従となる。不満があっても、黙々と責務を果たす。役職という責任感のみで活動を推進するのは、業務型信心である。業務型は、最低限の結果は出るが、歓喜は乏しい。そして、会員には「こうはなりたくないな」と思わせてしまう。

盲従の業務型信心の人には魅力はない。魅力がなければ、人は集まらない。このような環境では、新しい人材は出てこない。いつまでも、同じ顔ぶれで活動していくことになる。これ、リーダーの責任である。業務型から脱却できない限り、組織の発展は望めない。

組織主義は、業務型信心の有役職者を量産する。少子化の時代において、それがどういう意味を持つのかを考えなければならない。業務型信心を転換し、「この人みたいになりたい」という、発心型信心の有役職者が増えない限り、未来はない。そのためには、断じて盲従であってはならない。問われているのは常に、自分自身の生き方である。